固定観念を捨てるとみえるもの ~豊臣秀吉~

今回は豊臣秀吉についてです。

歴史に詳しくなくても聞いたことはあるかと思います。

平民から成りあがった偉人でサクセスストーリーとしても扱われますね。

ただ、いろいろ不自然というか不可解なことがあるんです。

歴史に詳しくない人でも、疑問に思ってもらえるように書いていこうと思います。

最後まで読んでもらえるように、がんばります。

 

羽柴秀吉

豊臣秀吉と名乗る前の名前です。もともと羽柴家というのは存在しません。

当時の織田家重臣の方から名前を1字ずつもらったものです。

羽・・・丹長秀

柴・・・田勝家  とそれぞれ1字もらってます。

もともと木下藤吉郎という名だったそうですが、言えることは元々武家でもなく、出自があやふやな人物だったということです。

この出自があやふやってのがカギになります。

 

時代劇などで織田信長からサル呼ばわりされます。

だいたいの作品で顔がサルっぽく描かれますが、どうもネズミっぽかったみたいです。

淀君の記録で、秀吉に対してあのネズミ顔が!と言われているからです。

サルと呼ばれていたのは足が速かったからのようです。馬に追いつくぐらいw

出自があやふやで、これだけ鍛錬をしていたということは、忍者としての訓練を積んでいた人ではないかと思います。

 

武家と姓

武家は元々天皇の血縁か、八色の姓によって名(姓)を与えられた家がほとんどです。

よって武家天皇と謁見する際は、姓(かばね)で名乗る必要があります。

織田信長なら平信長というように、祖先に与えられた姓を名乗るのです。

当然、かばねを知らない人は謁見すらできません。

出自があやふやだと謁見すらできないはずなんです。

 

豊臣姓

そんな秀吉に与えられたのは、新たな姓(かばね)でした。

八色の姓以来の出来事です。

どこの馬の骨かわからないネズミ顔にあり得ないほどの好待遇です。

そして、関白・太政大臣の官位まで授けられます。

公家が武家に対して関白を任官するのはあり得ないです。

なんで秀吉だけこんなに待遇がいいのか。

 

中国大返し

本能寺の変を知った秀吉が大急ぎで引き返してくるやつです。

街道沿いに近隣住民が食料など持ち寄ってきて行軍を支援したようです。

いくら配下が有能でも、本能寺の変がおきることを知っていないと出来ません。

それぐらいの準備と手間がかかることです。

命令すればなんでも住民は言うこと聞くわけではないですから。

バックに天皇がいたと考えると神社(氏神)を通して可能ではないかと思います。

 

天皇の暗躍

本能寺の変の前から天皇と秀吉はつながりがあったのではないかと思います。

天皇にとって味方に引き入れられる存在だった。

天皇貴族の望むことはただひとつです。

自分達に実権を取り戻すこと!です。

平氏→源氏→北条氏→足利氏→と実権がない時代が続き、幕府という形で武家の統治でしたから。

足利義満の時代には、危うく天皇家がなくなるところでしたし、応仁の乱でも逃げ惑うことになりましたから、過去の栄光を取り戻したかったはずです。

 

本能寺と天皇

直接的な関与を示すものはありません。

ただ織田幕府なんてことは避けたかったはずです。

織田信長が消えて一番うれしいのは天皇のはずです。

おそらく事前に誰かからタレコミがあったんじゃないかと思います。

そこで秀吉を使うことを思いついた。とすれば大返しの説明がつきます。

実権はなくても情報網はあったんじゃないかと思いますね。

ずっと機をうかがっていた。そんな風に私は見てます。

 

千利休の死

黄金の茶室までつくった秀吉ですが 突然、千利休切腹を命じます。

秀吉が狂ったエピソードとして語られますが、バックに天皇がいたとすれば説明がつきます。

天皇から見ると茶道は危険なんです。

仏教は教祖や有力な僧にたいして“上人(しょうにん)”などの位を与えて影響下にすることができます。

茶道ではそれがない上に そこに集まるのは有力な武士ばかりです

武家の密談の場所であり、反抗勢力を生む場所になりかねないからです。

秀吉にとっても危険ですが、天皇にとっても危険なはずです。

 

秀吉の政策

伴天連追放令・刀狩り・検地などが有名ですが、公家が望みそうなことなんです。

公家は異民族をひどく嫌います。アイヌへの仕打ちや妖怪という存在がその証明です。

刀狩りは武力蜂起を恐れてのことでしょうし、検地も中央集権で一元管理する前提のものに見えます。

まだ泰平と決まったわけでもなく、朝鮮へ出兵しようとすることを考えると若干違和感があります。

 

朝鮮出兵

秀吉が本気で望んだことなのか。目的がよくわかりません。

ただ、天皇に実権がある時代には必ずと言っていいほど外国へ侵略します。

白村江の戦い朝鮮出兵日清戦争日露戦争・太平洋戦争など。

その中でもやたらと朝鮮に固執しているんです。

庚申事変や日韓併合など、朝鮮は味方だと決まってるような舵取りをしてます。

日清や日露は朝鮮が引き金になっての戦争ですし、太平洋戦争も過去の戦争の延長線だと思います。そんな魅力あふれる土地でも文化圏でもないと思うんですけどね。 

たぶん天皇と朝鮮ってなにか関りがあるはずです。

 

木下藤吉郎

秀吉の最初の名は木下藤吉郎という名ですが 真偽不明です

(この時代はそれぞれが都合のいい歴史を残す習性があり 事実と認定できるものが少ない)

木下って 朴(ぱく)なんですよね。

もともと農民で姓がなかったとしたら 木下はあとから与えられたことになります

元々木下姓を名乗っていたのなら羽柴を名乗る必要もないです 

この時代、名を貰うなら姓ではなく名のほうですし。いろいろ不自然なんです。

豊臣の前(羽柴姓の時)に天皇から与えられたのであれば 個人的に合点がいきます。

天下人になった人ですので、神格化しようとして創作だと思われるものが多いんです。

幼名の日吉であったり、生まれた日であったり、親であったり。

 

まとめ

色々書きましたが、出自のわからない者に関白・太政大臣

これにつきますね。不自然すぎます。

どこの時代から接点があったのかはわかりませんが 間違いなくバックには公家や天皇がついてます。

なので彼にまつわる記録は都合のいいものを後から付け加えられていても不思議ではないです。公家や天皇のやってきたことですから。

なので実物は・・けっこうひどいんじゃないかと思いますね

 

固定観念を捨てるとみえるもの ~竹取物語~

今回はかぐや姫についてです

竹取物語の登場人物ですが、色々調べてみましたが実在の人物だと思われます

神社でも祀られており 結論から言うと 豊受大神という方がかぐや姫だと思われます

その理由について書いていきますが、残した多大な功績についても書いていきます

過去に書いた2つのブログを再編集してまとめたものです

 

竹取物語

内容についてはご存知だと思いますので割愛しますが、紫式部の作品としては他の源氏物語紫式部日記と比べると異色に感じます。

人間味がないというか、まるで元ネタがあったかのように物語が進んでいきます。

そして印象的なのは 不死の薬とかぐや姫はとても美人であった ということ。

まずは美人としてですが、伝説上に残る美人がもう一人います、それが八上姫です。

 

八上姫(やがみひめ)

因幡の白兎で登場する方です。美人と有名で多くの男たちが求婚しに出向いたとか。

その中に大国主がいます。道中、傷ついた兎を助け その兎が八上姫との橋渡しをします。その後、大国主と八上姫の話はなく どうなったかは不明です。

 

因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)

兎といいますが、しゃべるのでたぶん人間です。

因幡とは地名ですが、最古の表記では稲場です。

稲作が関係ありそうな表記なんです。

稲作→米→もち米→兎が餅をつく にも関係しそうです

 

大国主の目的地

大国主は八上姫に会うために出発し、素兎に出会いました。

そうなると当初の目的地は、その先だったことが分かります。

神社でいうと 出雲大社→白兎神社→その延長線上にある神社は元伊勢籠神社です。

 

 

元伊勢籠神社

伊勢神宮より前からある神社です。

そこで祀られているのが 天火明と豊受大神です。

天橋立のところにある神社です。

 

天火明(あめのほあかり)

天火明は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてらす くにてらすひこ あめのほかり くしたま にぎはやひ みこと)の天火明だとすると 大国主ニギハヤヒ)の可能性が高いです。実際、因幡の素兎の後日談で天照を案内するという話もあります。

以前にも書いてますが 出雲一国で大国主って変です。それじゃ小国主です。

そして大国主天照大神だとすると、天照大神豊受大神が同じ場所で祀られていることになります。そうなると伊勢神宮と同じ。(内宮:天照大神 外宮:豊受大神

元伊勢って表記も符合します。よって天火明は天照を指すと考えて違和感がないです。

 

豊受大神

元伊勢籠神社の伝承では籠(かご)に入っていたというのがあります。

籠って竹で作りますよね? 

竹籠の中・・竹の中ということになり 竹取物語かぐや姫との関連が見えてきます。

そうすると 八上姫とかぐや姫の共通点である美人っていうのも重なります。

多くの男が求婚に訪れたっていうことも重なります。

これほど一致するのなら 八上姫=かぐや姫豊受大神 と考えて不自然ではないです

 

かごめ唄

有名な「か~ごめ かごめ」って唄ですが、色々重なる部分があります。

かごめが籠女だとしたら、鶴と亀は豊受大神大国主を指すはずです。

出雲大社の社紋は六角形ですから 亀を表すと見ていいと思います。

鶴は、伊勢神宮では稲作を伝えた白真名鶴(しろまなづる)の伝承があり、

元伊勢籠神社の奥にある神社が 真名井神社といいます。主祭神豊受大神です。

よって鶴は豊受大神と推測できます。

後ろの正面は、天橋立で股のぞきというのがあり 後ろの正面という表現と重なります。逆に後ろの正面を表したのが股のぞきなのかもしれません。

 

豊受大神と稲作

真名という音で符号するのと、近くに伊根(イネ)という地名があったり、前述の稲場の素兎であったり、古代米を連想させる赤米うどんがあったりと 元々稲作が普及していたととれる痕跡があります。

大国主がのちに全国に稲作を広めるわけですが、その稲作の技術を教えたのが豊受大神だとしたら、伊勢神宮や籠神社で同格に扱われている辻褄が合います。

すなわち 伝えた人が豊受大神で、広めた人が天照大神です。

 

稲作伝来

日本は島国です。島国で狩猟生活をしていました。

当然、食糧難に陥りやすい環境です。そこで農耕技術を伝えられたとしたら

恐らくすごい感謝されるはずです。大国主マジ神!ってなると思います。

神様ってそういうことだと思います。

で、おそらく大国主はほぼ無償で伝えてると思います。天照に戦いの伝承がないですし、全国で祀られてますし、今の県境がいびつな形で経済的に不均等なのは領地を奪わなかったからではないかと思っています。

その偉大な功績の元となったのは 豊受大神かぐや姫)との出会いがあったから。

要するにかぐや姫に認められた男だったからです。

 

竹取物語の真意

登場人物は藤原不比等など後の時代の人たちです。

紫式部が言いたかったのは お前たち(藤原一族)では、かぐや姫の目にかなわないってことだったのではないかと思うのです。

そう考えると紫式部日記と性格が合います。

のちに天皇を名乗る藤原家は大化改新(クーデター)で実権を握りましたから

それの批判と当時の神話を組み合わせたのではないかと思います。

 

竹取物語は古代の神話

そうだとすると、卑弥呼が王になった時 大乱が収まった理由につながります。

卑弥呼大国主かぐや姫の8代後の子孫の可能性があり、それは海部氏の家系図から読み取れます。海部氏は籠神社の宮司で 家系図は国宝とされている最古のものです。

もし、神話の子孫が王位についたとしたら

かつて稲作で食糧難から救い国をまとめた子孫となり 影響力があったはずです。

仮に鬼道や占いの力をもっていたとしても、戦いや争いをやめるほどの影響力があるか疑問です。

なので昔の日本ではわりと有名で民衆でも知ってる話だったのではないかと思います。

そうでないと 天皇が天照の子孫を名乗ってもすんなり統治なんてできないはずです。

民衆単位で反発されたら統治なんてできませんし、税をとるなんて不可能です。

 

竹取物語の時代

物語の中で不死の薬がでてきます。これが時代を読み解くカギです。

この薬は岩笠という人が帝(大国主)の命令で富士山に捨てに行きます。

そして道中、木花咲弥(コノハナサクヤ)に奪われるという話があり、不死の薬を捨てた山で不死山 → のちに富士山と呼ばれるようになった話があります。

その話が中国の秦に伝わり、始皇帝が不死の薬を探させたとすると

時代は紀元前210年より前、おそらく紀元前250年頃ではないかと推察できます。

日本に稲作が伝わった時代と一致するわけです。

 

不死の薬

この薬が本当に存在したのなら かぐや姫は不老不死の存在になります。

人を不死に変えられるなら 自分も不死になれる技術を持ってて当然です。

人を不死に変えられるなら 猿から人を作り出すことも可能だと思います。

ひょっとしたら、土から人を作ることが可能なレベルかもしれません。

すなわち旧約聖書の神やマリアと同等で、中国の嫦娥(じょうが)や西王母とも同等の存在ではないかと推測できます。

神と呼ぶか仙人と呼ぶかはその人次第ですが、私はオリジナル人類と呼んでます

オリジナルの日本担当官がかぐや姫豊受大神)だったのではないかと思ってます

 

まとめ

紀元前250年頃、大国主は美人と有名なかぐや姫に会いに行った

道中、傷ついた配下の者に出くわし 必死に介抱した

そのお礼としてかぐや姫に会うことができた

かぐや姫と3年ほど暮らし 農耕技術を学び それを全国に広めた

50ほどに分かれたいた国は稲作で協力し合うことで ヤマトという国ができた

戦いではなく協力することでまとまった国 大きな和でヤマトという連合国家ができた

領地を奪うことはしなかったため 今も県境はいびつなまま残り 都は中間地点の奈良に置いた

王は代々天照と名乗り、最初の王は大国主ニギハヤヒ)だった

それは800年ほど続き、聖徳太子が最後の天照となったのち、藤原氏がクーデターを起こし、歴史を都合よく書き換え 天皇を名乗り自らを神とした

それを受け入れなかった者は暗殺された上、鬼や妖怪として扱われた

紫式部はそんな暗殺というやり方で国を乗っ取った藤原一族に敵意を抱いており

神話の内容を藤原一族が惨めになるよう書き換えた

簡単にまとめるとこんな歴史だったのではないかと思います

そう仮定すると、歴史の謎や中国にある文献も全て辻褄が合うようになるんです

 

紫式部はそんな藤原一族に筆で立ち向かった勇敢な女性なのかもしれないです

彼女のおかげで 本当の歴史の糸口が残ったとすると 功績は偉大ですね

 

これらを子孫である海部氏(宮司さん)に聴きたかったのですが

どうも私とは縁がないようで、お会いすることができませんでした。

2回ほど籠神社に行ったんですけどね たぶん縁がないという事でしょう。

縁がある人は聞いてみてほしいですね 

「この神社の豊受大神ってかぐや姫じゃないんですか?」って

子孫なら知ってるはずです

固定観念を捨てるとみえるもの ~もののけ~

今回は妖怪についてです。

鬼や天狗などいろいろありますが、調べてみると人間です。

ここでの固定観念は・・妖怪なんていないってことですね。

ほとんどが権力者に逆らったがゆえの結末だと思います。

なぜそんなことが言えるのか、それを書いていこうと思います。

あと、神器にも触れることになると思います。

少し長くなるかもしれませんが 読んでもらえると幸いです。

 

古代の妖怪

八岐大蛇

日本の神話といえば、ヤマタノオロチですよね。8つか9つかの首をもつデカい蛇です。

山と山にまたがるぐらいの蛇だったらしいです。

でも、ご当地である出雲国風土記には登場しないんです。

そんな人類滅亡の危機のようなモンスターが、載ってないんです。

風土記に載ってるのはワリと小物なモンスターであったり、ワニに食べられた話だったりとスケールがだいぶ小さいです。

蛇のはずが人としての記録があります。高志の国の人物で優秀な人だったという記録も。

高志(コシ)の国とは越前や越中や越後のことです。北陸地方ですね。

そしてそんな八岐大蛇のしっぽから天叢雲剣草薙剣)が出てきます。

 

天叢雲剣

あめのむらくものつるぎと読みます。

この剣のある所に雲ができるからこの名がついたらしいです。

実は、この剣とユダヤ三種の神器のアロンの杖は、特徴が一致します。

上空に雲ができるところですね。杖と剣も棒状のものですし。

同じものだとしたら、八岐大蛇はユダヤから来た人の可能性がでてきます。

そしてそれを宴会に誘って暗殺し、奪ったことになります。

 

酒呑童子

鬼の代表格、酒呑童子も人間としての記録があります。

空海に弟子入りを申し出たなどあります。

酒好きで宴会があると我を忘れる酒乱だったみたいです。

鬼が血をすするというは、ワインを飲んでいた姿じゃないかと思います。

酒呑童子もまた高志の国の人なので、ユダヤから来た人ではないかと思います。

源頼光らに討伐されることになります。

 

土蜘蛛

筑後だったかな?の風土記に明確に人間である描写があります。

人としての名も載ってます。討伐にきた天皇に助命を願いますが却下されます。

前半は人間として書かれていて 後半は明らかに妖怪でした。

 

天狗

もう衣装が外国人だと物語ってます。中東の人の服装です。

昔ばなしによっては人に恩恵を与えたりしますね。

天狗になるとかいいますが、中東の人は得意げになりがちなのかはわかりません。

妖怪って外国人のこと?って考えたきっかけでもあります。

 

その他

ナマハゲもたぶん人間ですね。人間相手ならすごい悪口ですがw

節分もそうですね。2月なので食料が少ない時です。困って人里にきた人に向かって投げつけていたのだと思います。あそこに住んでいるのは鬼(反乱した一族)というように教えられれば、できなくもないです。

 

中世の妖怪

以津真天

太平記に載ってる化け物(怪鳥)ですね。

いつまで~ と啼く鳥みたいですが、明らかにオウムの類です。

この時代に朝鮮から献上された記録があります。

貴族の会話を覚えちゃったんだと思います。

その内容が天皇にとって好ましくないから妖怪(怪鳥)なわけです。

 

飛頭蛮

ろくろ首です、首が伸びるのではなく飛びます。

平将門の首が飛んだという話のあれです。これは妖怪にされる一歩手前でした。

この時代には天皇家側以外にも記録を残すようになり、平将門の首が飛んでという話があるのは天皇家側の話です。全部の記録にそうあるわけではないです。

 

巨大ムカデ

藤原秀郷が対峙したとされる化け物です。藤原秀郷平将門の乱を鎮圧した人です。

はじめは平将門をムカデにしようとしてたんではないかと。

平将門は新皇を名乗り、関東に国家を作ろうとしましたから よっぽど嫌われたんだと思います。(もともと不作で苦しむ農民から税を取り上げることに反発しただけなんですけどね)

 

河童

諸説ありますが、たぶん子供の水死体です。

昔は、口減らしとかありましたし、割と水死体ってあったみたいです。

放置された期間にもよりますが、頭部・背中は河童と同じようになるみたいです。

腐敗してますので、子供に近寄せないようにするための妖怪化かもしれません。

よって、河童も人間だと思います。特番のミイラは全部ニセモノでしたしw

 

江戸時代の妖怪

町民文化が盛んでしたので多くは創作。ホラーや都市伝説の類だと思います。

平和な世の中だったので色んな娯楽が生まれ、面白おかしく歴史も語りました。

この時代の妖怪は、誰かを貶めるものではなく 単純に怖さを楽しむものだと思っています。

 

その他

源頼光源義家など源氏は多くの鬼や妖怪を退治したことになっていますが、その子孫が祖先を妖怪退治のプロとは見ていません。武人と見ています。

要するに戦った相手は人間だったということです。

たぶん本人も知らないところで妖怪を退治したことになってるんじゃないでしょうか。

武田信玄源義家の家系にありますが、妖怪退治の専門家ではないです。

 

近代の妖怪

小泉八雲の妖怪

明治時代の人です。外国人の小説家です。

雪女やろくろ首など彼の作品に登場したことで一躍有名になりました。

妻から聞いた話を小説にアレンジしたものです。どれくらいアレンジしたかはわかりませんが、エンターテイメントの範疇の話だと思います。

前述した江戸時代を経てますので、元ネタも創作かもしれません。

 

遠野物語

明治の時代に知られた東北地方の伝承をまとめたものです。

これについてはよくわかりません。

妖怪っぽい存在もいますが、その村や地域の取り巻く背景がよくわからないので盛ってたとしても意図がわからないんです。

民衆目線の話なので嘘を書く必要も本来はないので、可能性として不思議な存在がいた・・。と、とることができ、話自体はおもしろいです。

数少ない住民目線の歴史が記されていて貴重ですね。

 

 

まとめ

古代や中世においての妖怪は、基本的に天皇に敵対しているものが妖怪です。

そうすると平安時代の京都に多く出没する理由がつきます。

妖怪が多く出没する場所に都なんて置かないし、人も住まないですからね。

そんな話に後から絵を描くので、すごい化け物が出来上がるわけです。

古代において天皇がやったことを知ると、妖怪にされた彼らはそれに立ち上がった英雄に見えます。

妖怪なんていません。妖怪を作るのは人の心です。ってどこかで聞いたことあるなw

妖怪を題材とした作品はたくさんありますが、私が知る限り妖怪を正しく描写してるのは 東方プロジェクト だけですね。

ゲゲゲとか鬼滅とかは見る気にもならないです。

醜い容姿を相手にした勧善懲悪なんて、ただのいじめに見えます。

 

 

固定観念を捨てるとみえるもの ~日本神話~

今回は日本の神話についてです。

前回、天照大神について書いてますので、続きみたいな感じになります。

神話を本気で信じてる人はいないと思いますが、なぜ神話を作る必要があったのか。

そういう目線で書いていこうかなと思います。

今回、捨てるべき固定観念は 天皇は特別な人種ではないってところでしょうか。

なるべくわかりやすいように書いていきます!

 

神話の作成

記紀

古事記日本書紀を合わせて記紀(きき)という呼び方をしたりします。

どちらも同じ時代に作られたものです。

ですが日本書紀偽書とされています。海外に向けに話を盛ったという事らしいです。

浦を返せばウソを書くということに抵抗がなかったともとれます。

 

古事記の信憑性

古事記日本書紀に対して信憑性があるということになりますが、それは2択の中での消去法に過ぎません。

そんな古事記ですが、最初に作ったものは火事で焼失します。

そのだいぶ後に再度作ったものが今に伝わっています。

 

稗田阿礼

もう一度作るにあたり、内容を全部覚えてるよっていうおじさんが現れます。

その言葉を太安万侶という人が書きつづったものなんです。

当然のことながら、合ってるかどうかなんてわかりません。

そして現代に伝わっているのは 鎌倉時代の写本です。

そんなレベルです。

 

神話の内容

天皇は神様

内容を一言でまとめると 天皇は神様ですよ ということです。

いろいろ書いてありますが、伝えたいことはそういうことです。

真面目に読むとアマテラスやスサノオの話があった後に天孫降臨したり、今までの話はどこの話だよってツッコミたくなります。

読み終わっての感想は・・わけわからん。だと思います。

自称神同士が俺TUEEEE!をするだけですね。民衆なんて出てきません。

まぁギリシャ神話も似たようなものですけどw

中国神話と仏教と道教アイヌ神話と実話をごちゃまぜにしつつ 名前だけ変えてるように見えます。

目を洗ったら〇〇という神が生まれたとかは、仏教です。

塩が固まって国ができたってのはアイヌ神話です。

呪ったり呪術などを連想させるものは、道教です。

天皇って言葉自体、三皇五帝からで中国神話です。

 

天照大神

日本各地に神社があるように、民衆の信仰は稲作を伝えた天照に対してでした。

別にオーラがすごかったとか、見た目が神様だったからではないです。

人々は現実的な恩恵に感謝し、その行いを神としただけだと思います。

圧倒的な信頼があり、その子孫を名乗れば楽に正当化できるはずです。

しかし、神話でのアマテラスは人々に対してなにも恩恵がないんです。

そこが神話と神社の大きな違いです。

 

国譲り

神話で面白いのは、神武天皇天皇の祖先)は饒速日から、建御雷(藤原の氏神)は大国主からとそれぞれ国譲りがあります。

あ、神様ですね はいどーぞ と国を譲る統治者はいません。

なので不自然で、結論だけを急いだような印象を受けます。

しかもやってることは脅しやゆすりでしかないです。

仮に神様だとして人間の作った国を奪うか?という疑問にあたります。

 

まとめ

天皇が人間だとした場合、明らかに神格化されています。

神格化された根拠となるものは神話しかなく、その神話も意味不明です。

なぜそんなものを作る必要があったのか。そしてなぜ疑問符が残るのか。

神話の内容は一方的に神ですよと押し付けているだけにすぎません。

その神格化計画の主犯は藤原不比等持統天皇だと勝手に思っています。

ただこの辺は人によってさまざまですね。手塚治虫天智天皇だと思ってたみたいですし、宮崎駿斉明天皇だと思ってたんじゃないかと。

 

私は元々、天皇は日本にとって大事な存在、守るべき存在だと思っていました。

昔から神社だってあるし、そんな嘘なわけがないと思っていましたが、興味をもって学んでみると、神社と神話とは完全に別物でした。ショックでしたね。

別に反日というわけではないです。

 

固定観念を捨てるとみえるもの ~天照大神~

今回は天照(アマテラス)です。神様ですね。日本において最高神です。

実在の人物です。実際の功績は計り知れないほどの人です。

ここでの固定観念とは、記紀など正当とされる歴史を忘れることです。

辻褄の合うものだけを拾えば見えてくるものがあります。

その見えてくる歴史はたぶん魅力的な物語です。

ソシャゲでしか聞いたことがない人にも、興味を持ってもらえるようわかりやすく書いていきます

 

天照大神

伊勢神宮天照大神

一番有名な神社、まぁ神宮ですね。(神宮とは天皇と関わりがあるという意味)

一般的に女性だと思われていますが、そこでは男神として祀られています。

献上されるものも男の神としてのものです。なので男だと思って下さい。

ちなみに外宮で祀られている人が奥さんで、だれもが知ってるかぐや姫です。

 

天照の意味

アマテラスと読んでいますが、アメノテラシ(男ならヒコがつく)が当時の呼び名だと推測できます。これは中国の隋の記録から推測できるんです。

そして天照とは王を指す言葉であり称号であったと思われます。

隋の国書もそうですが、聖徳太子が書いたとされる先代旧事本紀

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊という人名があり、最後の尊は亡くなってる人を指し、饒速日は名を指します。よってそれより前は役職名だと考えるのが妥当です。

人の名の前に神の名を重ねるとは考えにくいですから。

 

先代旧事本紀

当然ながら先代旧事本紀偽書とされています(日本では古事記のみが正しい)

にしても人名とか偽書のクオリティじゃないんですよね。

古事記なんて一度消失しておじさんの記憶を頼りに書いたものなのに・・。

他にも風土記などありますが、天皇名が書いてあったりして(天皇という単語が使われるのはだいぶ後)あとからいじられている痕跡があります。

先代旧事本紀もいじられている可能性はありますが。

そんな中でも 初代の天照は饒速日。最後の天照は聖徳太子だと思われます。

 

初代天照

饒速日

ニギハヤヒと読みます。神話では踏んだり蹴ったりな扱いをされていますが

この人が初代の天照です。

神話では天皇の祖先(カムヤマトイワレビコ)に国譲りをしたことになっていますが、譲れるということは王だったということです。

(まぁやってきただけの人に国を譲る王はいませんね 人がまとめた世界を神が横取りするなら神ではなくジャイアンでは? などと思ってはいけない)

そんなニギハヤヒさんですが色々別名があります。

有名なのは大国主ですね。

出雲一国の領主が大国主って不自然ですよね。それじゃ小国主です。

あとは織姫と彦星の彦星であったり、竹取物語では帝として登場してます。

色々な形で功績を称えられ、なぞらえてる存在と思えます。

 

千と千尋の神隠し

この作品で、少年ハクの最後に思い出す名がニギハヤミでした。

一字違いです。(スタッフロールに出てきます)

名前に重点を置いた作品だったために意味深ですね。

少年ハクは、千におにぎりを与えるシーンも印象的でした。

神隠しとは 名を消された神って意味でしょう。

いかつい顔の湯婆婆も最近になってわかりました。

ある温泉好きな天皇を指していますね。

歴史を消して作ったのは斉明天皇というメッセージだと思います

わたしは持統天皇がやったと思ってますが

 

因幡の白兎

大国主といえば因幡の白兎が有名ですが、実はあの話はシベリアにも全く同じものがあります。普通に考えて兎はしゃべりませんので人間だとすると、シベリア方面の文化をもつ人ではないかと推測できます。

あのエピソードのあと兎は天照を道案内するという話があります、兎が感謝する相手は一人しかいません。なので大国主サイドからも 大国主=天照 の線が浮かびます。

そんな白兎は大国主八上比売こと、豊受大神と引き合わせることになります。

豊受大神の話は別の機会にします。

 

饒速日の功績

稲作を伝え国をひとつにまとめた事です。

それまでの日本は狩猟生活でした、しかも島国。

そんな中、それを全国をまわって伝えたようです。

食糧事情を改善した存在となり、多くの人から感謝されたはずです。

それが次第にひとつの国家、連合国家を作ったと思っています。

武力の背景はなく、対話や食料支援によってひとつにまとめたと考えられます。

大きな和で作った国なのでヤマトなんだと思います。

 

神社のはじまり

そんな行いに感謝し社を建て収穫の一部を納めたのが神社です。

神社にある注連縄は収穫物で作りますから。

もともと神社はお願いする場所ではなく感謝を示す場所でした。

それがいつからか小銭を投げてお願いする場所になりました。

 

饒速日の人物像

因幡の白兎でもわかるように、優しい人だと思います。

播磨国風土記には少名彦と男子中学生のようなやりとりがあり、けっこう明るい性格だったんじゃないかと思います。(スクナビコナ一寸法師のモデルとなる人です、建国の英雄の一人。背が低い)

そして奥さんがたくさんいたようです。けっこう女好きだったと思います。

竹取物語ではかぐや姫に猛アピールするも不老不死の薬には手をつけなかった。

一見、チャラいけど芯はしっかりしてる印象が物語に反映されたんじゃないかと。

他にも全国を巡ってなかなか帰ることができなかったみたいで、奥さんとの話が七夕の話になぞらえたみたいです。彦星は天照彦、織姫は瀬織津姫ですね。

元々は中国の西王母の娘、紫衣娘々の話です。

そんな瀬織津姫神道のお祓いするときの祝詞に重要な神として名が出ます。神話にはでませんが、ちゃんと神社で祀られています。

 

日本の統一

天照登場前の日本

漢の時代の資料なんかでも50近くの国に分かれていたとされています。

恐らくですが、いろんな人種単位の国がたくさんあったのではないかと思います。

多国籍な感じだったのではないかと。

そう思う理由として、今も存在する県境の分け方が不明瞭で不自然なこと。

律令制で区分けされたことになってますが、明らかに貧富の差があります。

後の世で妖怪とされる人たちが中東の文化や異文化を持っていたこと。

遥か遠いシベリア地方の伝承があること。一部の地域にのみ製鉄技術があること。

それらが狭い範囲にあることですね。

そういった区切りが同じ民族同士では不自然だと思うからです。

 

最後まで抵抗した勢力

諏訪に国家を築いてた洩矢(モリヤ)が最後まで抵抗しました。

学者の見解でも稲作が最後に伝わったのは諏訪地方という見解です。

恐らく饒速日の代では、併合しなかったはずです。

建御名方(タケミナカタ)の代でようやく併合されました。

これは戦いによっての決着だったようです。洩矢は製鉄技術を持ち、ユダヤ教を信仰していたため武力的にも文化的にも難敵だったと思います。

結果として建御名方と洩矢の両方を諏訪大社で神と祀ることで決着しています。

こうしてひとつの国家にまとまり 倭 という国ができた。

 

諏訪大社ユダヤ教

前述した洩矢は、ユダヤ教の教えを持っていたことがわかります。

名前もモリヤで神殿のあった地名ですし、諏訪大社では旧約聖書のイサク奉献に酷似した祭事があるからです。偶然の一致とは考えられないレベルです。

他にも御頭祭は出エジプト記と符合します。

よって日ユ同祖論で言われるユダヤの支族の末裔だと考えられます。

恐らくですが、契約の箱のマナの実を持っていたと思います。

この辺は別の機会にします。日本の三種の神器は、ユダヤ三種の神器とかなり特徴が一致します。

 

最後の天照

聖徳太子

聖徳も太子も号なので、名前ではないです。色々調べてみても名はみつかりません。

数々の伝説を残した人物です。この人も功績は多大だと思います。

遣隋使が非常に大きかったと思います。そんな隋とのやりとりは隋の国書に残されています。ただ今の世では彼は実在しなかった、モデルは藤原不比等など 散々な言われようです。

実在しないのになぜ中国に記録があるのか。逆に中国の記録に登場しない人物は実在しているという・・不思議な歴史を学校で習っています。

今の学校では厩戸皇子と習うみたいですね。遣隋使の時代には中国に景教キリスト教)は伝わっているので、知識として流れてきたはずです、それになぞらえたのかも。

 

遣隋使

隋との国交で、留学生など送ったり受け入れたりしてます。

そんな記録の中で当然、王の名が出ます。

アメノタラシヒコ それが王の名です。

へんな名前ですよね。

日本語は中国人には聞き取りにくく大王(オオキミ)もアハケミになる始末です。

タラシヒコなんて名が王名なのか? なにを垂らすのか? なにかの聞き間違いだとすればアメノテラシヒコ(天照彦)と推測するのが妥当です。饒速日の称号に 天照国照彦 というのがありますから。

余談ですが、蘇我も中国での表記からソガと読んでますが、本当は違う可能性が高いです。スガなのか、スサなのか。スサノヲを祀る須佐神社ってのがあるんですが、ふつう神の名前を区切ったり短縮したりしないですよね。そこがちょっとひっかかってます。

 

推古天皇

けっこう有名な人ですよね。でもこの人、中国の記録に名が出ません。

女性の王やそれを連想させる記述すらありません。

仏教の伝来のために裴世清という人が国賓として1年滞在しても報告書に残らない。

いくら摂政がいても国とのやり取りで名が出ないのは、おかしいです。

でも学校では推古天皇すばらしい思想の元に遣隋使が実現したことになってるんです。

 

聖徳太子の功績

仏教の誘致が大きかったと思います。

それにより漢字が伝わり、漢字を元にしたカタカナとひらがなが生まれます。

この当時の仏教は自力本願しかなく、宗教というより学問でした。

国民に学ぶ機会を与えようとしたのではないかと思います。

現に空海という立派な僧も生まれています。

隋との交流で文化の礎を作ったと思っています。

中国の皇帝という制度を真似しなかったところからみても なんでもかんでも招き入れたわけではないことがわかります。

 

まとめ

と、だいぶ長々とたくさん書きました。本来なら二つに分けるべきでした。

最後まで読む人はいるのか・・・。

読んでくれたらありがたいですね。

天照ということで最初と最後にしぼりました。 

大化改新より前の歴史は ほぼウソである可能性が高いです。

なにひとつ中国側と符号しないですからね。

 

次回はそんな日本の歴史書について書いていきます。

固定観念を捨てると見えるもの ~邪馬台国~

こんにちは。

高校時代、歴史研究部という部があり そこに所属していました。

社会の先生から部員が卒業して廃部になると言われ、仲のいいのを集めて引き継ぎました。

主な活動内容は部室内のロッカーで死角を作り喫煙所を作ったり、生徒会長を脅して多額の部費を調達したり、放課後のたまり場にしてたなど、ほぼそんな思い出ばかり。

そんな私が真面目に歴史研究をしたいと思います。もともと歴史は好きでしたから。

最初は邪馬台国についての研究です。

 

邪馬台国

魏志倭人伝の信憑性

邪馬台国の存在が知られたのは中国の魏が残した書物からです。

魏は三国志の魏。あのおそろしい曹丕(文帝)の時代です。

時代は三国時代の真っ最中なので、戦乱の世の中ですね。

創作や作り話を載せる余裕はなかったはずです。

なので、真実に近いものが記されていると推測していいと思います。

 

親魏倭王の意味

魏と親しい倭の王という意味ですね。

魏にとって倭は、呉を挟撃や中継とできる位置関係にありました。

よって呉よりも先に手を結ぶ必要があったわけですね。

 

海にちゃぽん

これが問題とされているところです。記述通りに進むと海にちゃぽんするからですね。

そのちゃぽんする地図は現代の地図です。現代とこの時代が同じとは限らないです。

2千年近く前の地図と今が同じだと勝手に思い込んでいます。

 

混一疆理歴代国都之図

元寇の時(1400年頃)の地図です。日本が載ってる最古の地図です。

そんな600年前の地図での日本は・・向きが今と違います。

その地図で魏志倭人伝の通り進むと、海にちゃぽんしないんです。

近畿あたりにたどり着きます。

魏の時代に現代と同じで元寇の時代は逆さま・・とは考えにくいです。

 

地図に合わて修正

後から地図と記述を一致させたのではないか。

方向音痴だと海を渡っても、帰ってこれませんからね。

地図に合わせて方角などを変更したのではないかと思います。

曹丕が怖くて地図が違うとは言えなかったのかも

(というのは冗談で 曹丕の時代は儒教の名士層が権力を取り戻した時代でもあります 過去の名士達の作った地図が違うと言えなかったんだと思います)

 

ヤマト国

ヤマタイと読んでますが、卑弥呼の妹である台与はトヨと読みます。

なぜヤマタイと読ませるのか。

中国で台の旧漢字は トゥと読みます。 ヤマト国と読むのが自然のはずです。

ヤマト国なら大和の国、現在の奈良県にあたります。その後の歴史になにも違和感がありません。

 

まとめ

最古の地図で辿れば大和の国にたどり着き、読みもヤマトと読むのが自然です。

魏としては嘘を書く必要も全くありません。

逆に考えて、なぜ謎にしたいのか。ここがポイントです。

次は卑弥呼さんについてです。

 

 

女王卑弥呼

神功皇后

歴史では卑弥呼を特定できませんが、かろうじて近いと思われるのが神功皇后です。

三韓征伐など数々の話があります。戦時中は卑弥呼神功皇后だと教えていたようです。それもあって日本で最初に紙幣に描かれた人物でもあります。

ただ時代が100年以上ずれるんですよね。

 

宇佐八幡宮

神功皇后が祀られている九州にある神社です。

ほかにも住吉神社や、八幡神社など日本全国でたくさん祀られています。縁結びの神であったり、戦いの神であったりしてますね。

親魏倭王である弥呼がなにも混戦を残さず今に至るとは思えないです。

状況的に 卑弥呼神功皇后 という線は濃厚だと思います。

 

日女子

ヒメコと読みます。私はこれが本当の名だと思っています。

元伊勢籠神社に残る伝承です。最古の家系図を持つ海部氏の系譜です。

簡単にいうと かぐや姫と天照の子孫ではないかと思っています。

時代的にも血統的にも違和感がありません。

天照についてはかなり長くなりますので次回にしますが、実在の人物(♂)です。

竹取物語も実話で、かぐや姫も実在の人物です。

 

まとめ

今の私では神功皇后卑弥呼と断定することはできません。

卑弥呼はヒメコだったことは間違いないと思っています。

ヒメコがおウサ様と呼ばれていたのであれば確定なんですが・・。

 

邪馬台国卑弥呼が謎の理由

謎でないと困る理由

もし邪馬台国が大和の国であると困ることがあります。

古事記日本書紀を作った時代と都の場所が同じということです。

要するに、同じ都でありながら親魏倭王の存在を知らなかった。

天皇などの貴族は大昔から国の中枢にいたわけではなかったことになります。

魏と国交があったことは知らないけど、大昔から天皇は君臨してましたよってのは、さすがに無理があります。

天皇の正当性を疑問視する火種になります。

インチキなんじゃないかと思われるってことです。

 

天皇が神でないと困る理由

天皇は神ではありません。TVみてもわかりますよね。ふつーの人です。

ただ神話や天皇がいることによって、大きな既得権益が生まれます。

その既得権益の恩恵を得ているのは、公家。藤原家などの貴族の家系です。

摂関家と呼ばれていますが、現代にも存続しており 有名企業の役員に名を連ねています。様々な経済団体に加入してますので、経済団体を動かせる他、神道の信者も動かせます。右翼団体も動かせる圧倒的な権力を持っています。

ほぼ最強ですw

平安時代では和歌を詠むだけで暮らせ、逆らうものは妖怪として討伐させました。

それらは天皇や神話があって成り立つ封建制度で成り立っています。

土地は神様である天皇のものとして貸している形でしたからね。

それが覆ると統治する力を失うのです。

 

学者が謎で片づけている理由

学者は国から給料をもらいますので、国の支配構造が変わるような発見や発表できないです。まず戦っても勝ち目のない相手ですしw

命をかけて真実を明るみにしないといけない理由もないです。

あと、歴史上に名が残る歴史学者はみんな古事記を正当としてる人です。

 

まとめ

どこの国でも歴史は事実を書き綴ったものではなく、人々を統治するためのものです。

今の支配者を正当化するためのものです。

支配者が変われば歴史も変わります。

固定観念を捨て、天皇は道具だと思えば多くの歴史(辻褄)が見えます。

それと同時に黒幕の姿が見えるわけです。

なぞとされているものはなぞとしておくのが一番です。

それでも私はこの国を作った初代天照が好きなだけです。彼の名誉を取り戻したいだけですね。次回はそんな天照についてです。