今回は豊臣秀吉についてです。
歴史に詳しくなくても聞いたことはあるかと思います。
平民から成りあがった偉人でサクセスストーリーとしても扱われますね。
ただ、いろいろ不自然というか不可解なことがあるんです。
歴史に詳しくない人でも、疑問に思ってもらえるように書いていこうと思います。
最後まで読んでもらえるように、がんばります。
羽柴秀吉
豊臣秀吉と名乗る前の名前です。もともと羽柴家というのは存在しません。
羽・・・丹羽長秀
柴・・・柴田勝家 とそれぞれ1字もらってます。
もともと木下藤吉郎という名だったそうですが、言えることは元々武家でもなく、出自があやふやな人物だったということです。
この出自があやふやってのがカギになります。
猿
時代劇などで織田信長からサル呼ばわりされます。
だいたいの作品で顔がサルっぽく描かれますが、どうもネズミっぽかったみたいです。
淀君の記録で、秀吉に対してあのネズミ顔が!と言われているからです。
サルと呼ばれていたのは足が速かったからのようです。馬に追いつくぐらいw
出自があやふやで、これだけ鍛錬をしていたということは、忍者としての訓練を積んでいた人ではないかと思います。
武家と姓
武家は元々天皇の血縁か、八色の姓によって名(姓)を与えられた家がほとんどです。
よって武家が天皇と謁見する際は、姓(かばね)で名乗る必要があります。
織田信長なら平信長というように、祖先に与えられた姓を名乗るのです。
当然、かばねを知らない人は謁見すらできません。
出自があやふやだと謁見すらできないはずなんです。
豊臣姓
そんな秀吉に与えられたのは、新たな姓(かばね)でした。
八色の姓以来の出来事です。
どこの馬の骨かわからないネズミ顔にあり得ないほどの好待遇です。
そして、関白・太政大臣の官位まで授けられます。
公家が武家に対して関白を任官するのはあり得ないです。
なんで秀吉だけこんなに待遇がいいのか。
中国大返し
本能寺の変を知った秀吉が大急ぎで引き返してくるやつです。
街道沿いに近隣住民が食料など持ち寄ってきて行軍を支援したようです。
いくら配下が有能でも、本能寺の変がおきることを知っていないと出来ません。
それぐらいの準備と手間がかかることです。
命令すればなんでも住民は言うこと聞くわけではないですから。
バックに天皇がいたと考えると神社(氏神)を通して可能ではないかと思います。
天皇の暗躍
本能寺の変の前から天皇と秀吉はつながりがあったのではないかと思います。
天皇にとって味方に引き入れられる存在だった。
天皇貴族の望むことはただひとつです。
自分達に実権を取り戻すこと!です。
平氏→源氏→北条氏→足利氏→と実権がない時代が続き、幕府という形で武家の統治でしたから。
足利義満の時代には、危うく天皇家がなくなるところでしたし、応仁の乱でも逃げ惑うことになりましたから、過去の栄光を取り戻したかったはずです。
本能寺と天皇
直接的な関与を示すものはありません。
ただ織田幕府なんてことは避けたかったはずです。
おそらく事前に誰かからタレコミがあったんじゃないかと思います。
そこで秀吉を使うことを思いついた。とすれば大返しの説明がつきます。
実権はなくても情報網はあったんじゃないかと思いますね。
ずっと機をうかがっていた。そんな風に私は見てます。
千利休の死
黄金の茶室までつくった秀吉ですが 突然、千利休に切腹を命じます。
秀吉が狂ったエピソードとして語られますが、バックに天皇がいたとすれば説明がつきます。
天皇から見ると茶道は危険なんです。
武家の密談の場所であり、反抗勢力を生む場所になりかねないからです。
秀吉の政策
伴天連追放令・刀狩り・検地などが有名ですが、公家が望みそうなことなんです。
公家は異民族をひどく嫌います。アイヌへの仕打ちや妖怪という存在がその証明です。
刀狩りは武力蜂起を恐れてのことでしょうし、検地も中央集権で一元管理する前提のものに見えます。
まだ太平と決まったわけでもない、朝鮮へ出兵しようとすることを考えると違和感があります。やろうとしてることと状況が一致しないと言えばわかりやすいですかね。
朝鮮出兵
秀吉が本気で望んだことなのか。目的がよくわかりません。
ただ、天皇に実権がある時代には必ずと言っていいほど外国へ侵略します。
白村江の戦い・朝鮮出兵・日清戦争・日露戦争・太平洋戦争など。
その中でもやたらと朝鮮に固執しているんです。
庚申事変や日韓併合など、朝鮮は味方だと決まってるような舵取りをしてます。
日清や日露は朝鮮が引き金になっての戦争ですし、太平洋戦争も過去の戦争の延長線だと思います。そんな魅力あふれる土地でも文化圏でもないと思うんですけどね。
たぶん天皇と朝鮮ってなにか関りがあるはずです。
まとめ
色々書きましたが、出自のわからない者に関白・太政大臣。
これにつきますね。不自然すぎます。
この時代、武家は勝手に官位を名乗ったりしてますので、天皇の影響力はほとんどなかったと思います。その上、織田信長には相手にされない始末。
もし織田幕府が開かれれば、天皇はいなかったかもしれないですね。
織田信長についてはいつか書きますが、本当は秀吉の役目は家康がやる予定でした。
そこに割って入ったのが秀吉であり天皇だった。と見ています。
それゆえに大阪の陣まで余計な戦いが続いてしまったと思っています。
いつの時代も不自然な出来事があります。
その黒幕は天皇って仮定すると辻褄が合うものが多いです。