固定観念を捨てるとみえるもの ~天照大神~

今回は天照(アマテラス)です。神様ですね。日本において最高神です。

実在の人物です。実際の功績は計り知れないほどの人です。

ここでの固定観念とは、記紀など正当とされる歴史を忘れることです。

辻褄の合うものだけを拾えば見えてくるものがあります。

その見えてくる歴史はたぶん魅力的な物語です。

ソシャゲでしか聞いたことがない人にも、興味を持ってもらえるよう頑張ります!

 

天照大神

伊勢神宮天照大神

一番有名な神社、まぁ神宮ですね。(神宮とは天皇と関わりがあるという意味)

一般的に女性だと思われていますが、そこでは男神として祀られています。

献上されるものも男の神としてのものです。なので男だと思って下さい。

ちなみに外宮で祀られている人が奥さんで、だれもが知ってるかぐや姫です。

 

天照の意味

アマテラスと読んでいますが、アメノテラシ(男ならヒコがつく)が当時の呼び名だと推測できます。これは中国の隋の記録から推測できるんです。

そして天照とは王を指す言葉であり称号であったと思われます。

隋の国書もそうですが、聖徳太子が書いたとされる先代旧事本紀

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊という人名があり、最後の尊は亡くなってる人を指し、饒速日は名を指します。よってそれより前は役職名だと考えるのが妥当です。

人の名の前に神の名を重ねるとは考えにくいですから。

 

先代旧事本紀

当然ながら先代旧事本紀偽書とされています(日本では古事記のみが正しい)

にしても人名とか偽書のクオリティじゃないんですよね。

古事記なんて一度消失しておじさんの記憶を頼りに書いたものなのに・・。

他にも風土記などありますが、天皇名が書いてあったりして(天皇という単語が使われるのはだいぶ後)あとからいじられている痕跡があります。

先代旧事本紀もいじられている可能性はありますが。

そんな中でも 初代の天照は饒速日。最後の天照は聖徳太子だと思われます。

 

初代天照

饒速日

ニギハヤヒと読みます。神話では踏んだり蹴ったりな扱いをされていますが

この人が初代の天照です。

神話では天皇の祖先(カムヤマトイワレビコ)に国譲りをしたことになっていますが、譲れるということは王だったということです。(まぁやってきただけの人に国を譲る王はいませんねw 人がまとめた世界を神が横取りするならただのジャイアンでは? などと思ってはいけない)

そんなニギハヤヒさんですが色々別名があります。

有名なのは大国主ですね。出雲一国の領主が大国主って不自然ですよね。

あとは呼び名ではないですが織姫と彦星の彦星であったり、竹取物語では帝として登場してます。色々な形で功績をなぞらえてる存在ということです。

 

ニギハヤミ

最近では千と千尋の神隠しで、少年ハクの最後に思い出す名がニギハヤミでした。

一字違いです。名前に重点を置いた作品だったために意味深ですね。しかも千におにぎりを与えるシーンも印象的でした。名を消され隠された神って意味でしょう。

元凶であるいかつい顔の湯婆婆も最近になってわかりました。ある温泉好きな天皇を指していますね。

 

大国主

大国主といえば因幡の白兎が有名ですが、実はあの話はシベリアにも全く同じものがあります。そして兎はしゃべりませんので人間だとすると、シベリア方面の文化をもつ人ではないかと推測できます。

あのエピソードのあと兎は天照を道案内するという話があります、兎が感謝する相手は一人しかいません。なので大国主サイドからも 大国主=天照 の線が浮かびます。

そんな白兎は大国主八上比売こと、豊受大神と引き合わせることになります。

 

豊受大神

かぐや姫です。おそらく兎はかぐや姫の手の者だったと思います。

兎とかぐや姫は月というワードでも一致しますよね。

竹取物語の冒頭の竹の中からってのは、竹籠に入っていたという意味です。

よってかごめ~は、籠女となります。

他にも天橋立の天女伝説のモデルにもなっています。

天女伝説は元々中国の話です。それになぞられるほどの美女だったと思って下さい。

夜這い(一目見たさに屋敷の前に男共が這って現れる)という言葉が生まれる程の美女だとすれば、人種そのものが違った可能性があります。おそらくシベリア人のハーフかクォーターではないかと。勝手なイメージとして楠本高子を思い描いていますw

そんな兎とかぐや姫の試練をクリアした大国主饒速日)を認め、本格的に全国へ稲作を広めていきます。(4年ぐらい一緒に暮らしたみたいです)

 

饒速日の功績

稲作を伝えたことと国をひとつにまとめた事です。

それまでの日本は狩猟生活でした、しかも島国。かなり食料事情はきつかったはずです。日本は梅雨など雨量や日照などで稲作に適していました。

それを全国をまわって伝えたようです。

それが次第にひとつの国家、連合国家を作ったと思っています。

武力の背景はなく、対話や支援によってひとつにまとめたと考えられます。

人々はそれに感謝し社を建て収穫の一部を納めました。それが神社です。

神社にある注連縄は収穫物で作りますよね。

もともと神社はお願いする場所ではなく感謝を示す場所でした。 

この饒速日の行動によって色んな文化が生まれ、それは今も残っています。

日本の歴史や文化にこれほどの影響を与えた人物はいないです。

2000年以上、感謝し続けている民族も珍しいですね。

 

饒速日の人物像

因幡の白兎でもわかるように、優しい人だと思います。

播磨国風土記には少名彦と男子中学生のようなやりとりがあり、けっこう明るい性格だったんじゃないかと思います。(スクナビコナ一寸法師のモデルとなる人です、建国の英雄の一人。背が低い)

そして奥さんがたくさんいたようです。けっこう女好きだったと思います。

竹取物語ではかぐや姫に猛アピールするも不老不死の薬には手をつけなかった。

一見、チャラいけど芯はしっかりしてる印象が物語に反映されたんじゃないかと。

他にも全国を巡ってなかなか帰ることができなかったみたいで、奥さんとの話が七夕の話になぞらえたみたいです。彦星は天照彦、織姫は瀬織津姫ですね。

元々は中国の西王母に関連する紫衣娘々の話ですね。

そんな瀬織津姫神道のお祓いするときの祝詞に重要な神として名が出ます。神話にはでませんが、ちゃんと神社で祀られています。

 

秦からの使者

後に秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて徐福を派遣します。

不老不死の薬は竹取物語に登場するものです。よって大国主かぐや姫の出会いは 紀元前300年頃~紀元前250年頃の間ではないかと推測されます。そうすると稲作が伝わった時代とも合います。

余談ですが、その不老不死の薬を服用したのが饒速日の妹、コノハナサクヤですね。

ニニギ(天皇の祖先)に嫁いだので、天皇は天照の子孫ではなく遠い親戚になります。

 

日本の統一

天照登場前の日本

漢の時代の資料なんかでも50近くの国に分かれていたとされています。

恐らくですが、いろんな人種単位の国がたくさんあったのではないかと思います。

多国籍な感じだったのではないかと。

そう思う理由として、今も存在する県境の分け方が不明瞭で不自然なこと。

律令制で区分けされたことになってますが、明らかに貧富の差があります。

後の世で妖怪とされる人たちが中東の文化や異文化を持っていたこと。

遥か遠いシベリア地方の伝承があること。一部の地域にのみ製鉄技術があること。

それらが狭い範囲にあることですね。

そういった区切りが同じ民族同士では不自然だと思うからです。

 

最後まで抵抗した勢力

諏訪に国家を築いてた洩矢(モリヤ)が最後まで抵抗しました。

学者の見解でも稲作が最後に伝わったのは諏訪地方という見解です。

恐らく饒速日の代では、併合しなかったはずです。

建御名方(タケミナカタ)の代でようやく併合されました。

これは戦いによっての決着だったようです。洩矢は製鉄技術を持ち、ユダヤ教を信仰していたため武力的にも文化的にも難敵だったと思います。

結果として建御名方と洩矢の両方を諏訪大社で神と祀ることで決着しています。

こうしてひとつの国家にまとまり 倭 という国ができた。

 

倭国

ワコクといいますが、正確にはヤマト国です。ワは中国の呼び名で倭ではなく、和が正当です。色んな文化をもった国が一つになったわけですし、大きな和で大和(ヤマト)ですよね。まぁ中国人は今でも日本人を和人といいますし、和食や和文や英和辞典など今でもその呼び名は残ってますね。最後の天照の有名な言葉に 和を以って貴しと成すとありますから、その思想が垣間見れますね。

 

諏訪大社ユダヤ教

前述した洩矢は、ユダヤ教の教えを持っていたことがわかります。

名前もモリヤで神殿のあった地名ですし、諏訪大社では旧約聖書のイサク奉献に酷似した祭事があるからです。偶然の一致とは考えられないレベルです。

他にも御頭祭は出エジプト記と符合します。

よって日ユ同祖論で言われるユダヤの支族の末裔だと考えられます。

恐らくですが、契約の箱のマナの実を持っていたと思います。

この辺は別の機会にします。日本の三種の神器は、ユダヤ三種の神器とかなり特徴が一致します。

 

最後の天照

聖徳太子

聖徳も太子も号なので、名前ではないです。色々調べてみても名はみつかりません。

数々の伝説を残した人物です。この人も功績は多大だと思います。

遣隋使が非常に大きかったと思います。そんな隋とのやりとりは隋の国書に残されています。ただ今の世では彼は実在しなかった、モデルは藤原不比等など 散々な言われようです。

実在しないのになぜ中国に記録があるのか。逆に中国の記録に登場しない人物は実在しているという・・不思議な歴史を学校で習っています。

今の学校では厩戸皇子と習うみたいですね。遣隋使の時代には中国に景教キリスト教)は伝わっているので、知識として流れてきたはずです、それになぞらえたのかも。

 

遣隋使

隋との国交で、留学生など送ったり受け入れたりしてます。

そんな記録の中で当然、王の名が出ます。

アメノタラシヒコ それが王の名です。

へんな名前ですよね。

日本語は中国人には聞き取りにくく大王(オオキミ)もアハケミになる始末です。

タラシヒコなんて名が王名なのか? なにを垂らすのか? なにかの聞き間違いだとすればアメノテラシヒコ(天照彦)と推測するのが妥当です。饒速日の称号に 天照国照彦 というのがありますから。

余談ですが、蘇我も中国での表記からソガと読んでますが、本当は違う可能性が高いです。スガなのか、スサなのか。スサノヲを祀る須佐神社ってのがあるんですが、ふつう神の名前を区切ったり短縮したりしないですよね。そこがちょっとひっかかってます。

 

推古天皇

けっこう有名な人ですよね。でもこの人、中国の記録に名が出ません。女性の王やそれを連想させる記述すらありません。仏教の伝来のために裴世清という人が国賓として1年滞在しても報告書に残らない不思議。いくら摂政がいても国とのやり取りで名が出ないのは、おかしいです。でも学校では推古天皇すばらしい思想の元に遣隋使が実現したことになってるんです。

 

聖徳太子の功績

仏教の誘致が大きかったと思います。それにより漢字が伝わり、のちの世で漢字を元にしたカタカナとひらがなが生まれます。

この当時の仏教は自力本願しかなく、宗教というより学問でした。それを国民に学ぶ機会を与えようとしたのではないかと思います。現に空海という立派な僧も生まれています。

隋との交流で文化の礎を作ったと思っています。

中国の皇帝という制度を真似しなかったところからみても なんでもかんでも招き入れたわけではないことがわかります。

 

まとめ

と、だいぶ長々とたくさん書きました。本来なら二つに分けるべきでした。

最後まで読む人はいるのか・・・。

読んでくれたらありがたいですね。

天照ということで最初と最後にしぼりましたが、それでも色々端折ってますw 

学校で習う歴史を無視して、辻褄の合うものを拾ったつもりです。

だいぶ知ってる歴史と違ったんじゃないかと思います。

その見えてきた歴史は、神話なんかよりおもしろいと思ってもらえたら嬉しいです。

私はわけのわからない神様の俺TUEEEE!!物語よりよっぽど魅力的に感じます。

 

次回は古事記などにしようかなと思います。どんなに遠回しにしてもほぼ天皇と藤原家の悪口になる気もしますがw