かごめ唄の意味

か~ごめ かごめ っていう かごめ唄についてです

だいぶ勘違いしてましたねw

深く考えすぎだったんだと思います

以前に書いた 固定観念をすてると見えるもの ~竹取物語~ のつづきになります

 

もちろん古代史(本当の歴史)を紐解いていないとわからないっていうハードルはありますが とてもシンプルな内容だと思います

 

結論から書きます

この唄は 大国主かぐや姫の出会いの唄です

 

このふたりはこの国を作った人

かぐや姫が稲作を伝え 大国主が全国に広めました

 

そして天照(アマテラス)と呼ばれた古代の王です

国は大和(ヤマト)で大化改新の前の王朝ですね

 

まぁこの辺は以前に書いてますので割愛しますが

このふたりの出会いを唄にして 今も残っているということです

 

では内容についてです

 

か~ごめ     籠女です 豊受大神を指します まぁかぐや姫ですね

籠の中の鳥は    豊受大神は籠に入っていたという伝承がありますので彼女のことです

いついつ出会う いつ出会ったかです

夜明けの晩に  皆既日食があった夜に (天岩戸の話です)

鶴と      鶴は豊受大神(白真名鶴伝説)

亀が      亀は大国主です(出雲大社の社紋は六角形)

すべった    ふたりで統べた 同じ神社で二人が祀られている場所を指します

後ろの正面   天橋立の股のぞきを指します

だぁれ?    鬼役の真後ろのいる人なので 籠女ではない人になり大国主です 

        まぁ天照大神ですね

 

ようするに出会いを唄にしただけだったんです

そしてその唄が示す場所にかぐや姫大国主を祀る神社がある

天照大神豊受大神の二人が祀られてるのは 伊勢神宮と籠神社だけです

籠神社は元伊勢ですから 実質、籠神社を示すわけですね

 

ひょっとしたら月夜に後ろから声を変えたのが出会いだったのかも

籠女から解き放ったことで この国のすべてが始まったのかもしれません  

 

私はだいぶ前に古代史のなぞを解いてますので 実感がないですが

何も知らない人には たしかに歴史のタブーではあります

だって天皇の歴史がウソだったことにつながりますからね 

下手すると権力が裏返りますし 宮司が暗号と表現したのも理解できます

 

以前の王朝(大和)の王様を唄ったものであれば 日本という天皇の作った王朝において都合はよくないですからね

 

ちなみにいつからあるのかはわかりません

正面という表現が鍵になりそうですが・・はっきりはわからないです

 

ただ 国をひとつにまとめた男女の出会いを唄ったもので

とてもロマンチックではありますね 

古代の日本っていい国だったんだろうなと思ってしまいます

中国の記録(漢書倭国伝)にはよく笑う人達って書いてますし

 

ということで やっと謎が解けました 

考えすぎでしたね すでに辿り着いていたのを難しく考えすぎてました

宝の在処を示すものという説もあるみたいですが そういう下品なものではないです

古代の王朝を偲ぶ唄 もしくは 美男美女の出会いの唄です 

1年以上ずっと頭の中で流れたいましたが ようやく解放されそうですw

 

さらにいうと東方プロジェクトで『シンデレラケージ』という曲があります

メロディはかごめ唄のメロディです

シンデララのケージってことで 籠女 を指すわけですね

そのステージの中で てゐ(素兎)が出てくる

この人はだいぶ前に辿り着いてたってことです

プログラマーとして働きながら当時20代前半だよね 意味わからんw)

 

時間の正体

時間ってなんだろうって考えた記録です

結局のところ 仮説は立てられますが 実証することはできません

自分の経験(死後の世界)を元にした考察でもあります

 

時間は空間

時間とは空間を指すのではないかと思うのです

普遍的に流れるものでなく、空間を移動している現象が時間ではないかと

空間の中に空間を作り その中を移動している現象が時間ではないかと

例えると 鏡と鏡を合わせると鏡の中に無限に同じものが映ります

鏡は平面ですが、それを空間単位で行っているのが時間ではないかと思います

 

時間は常に止まっている

空間から次の空間へ移動しているだけで、時間の止まった空間が無数にあるのではないかと思います そう思う理由が死後の世界です

私が行ったことのある世界は 時間が止まっていたのではないかと思います

全く同じ世界で生命はいません

パラレルワールド的な別世界だと思っていましたが、今考えると過ぎ去った空間の中だったのではないかと思ったのです

もちろんその世界で物を動かすことはできました

時間が止まっているとは静止した世界ではなく 次の空間へ移動できない状態の世界で

パラレルワールドではなく 数秒前に過ぎ去った世界・・

まるでフィルムの1コマのような 隔絶された世界がいくつもあるのではないか

 

時間は4次元

だいぶ前から時間と重力は密接な関係があるだろうなと思っていました

どちらも目には見えず 物体に対して均一に働きます

なにで覆っても均一に働くので 物理的な現象ではなく上位な力なんだろうと

そしてそれは空間に働く力であり、空間そのものが4次元ではないかと考えました

 

空間と物体

空間があることで物質は変化できます

素粒子や電子など空間があることで移動でき 変化させることができる

3次元だけでは移動や変化はできないのではないか

その空間に働いている力こそが 時間や重力と同じ力なのではないかと

そう考えると物理法則というのは そういった4次元の力もセットで考えたもので

目に見えないものを物質に置き換えているだけではないかと思いました

実際、電子や中性子など素粒子が動いてる動力源は分からないですからね

なにかの力が働いていて 空間と認識している中にその力場がある 

よって時間や重力以外にも見えない4次元(空間)の力は存在するのではないか

そう思います

 

須臾(しゅゆ)の世界

仏教には膨大な数の単位もあれば、最小の単位もあります

なんのためにあるのかと考えましたが もし仮説のとおり膨大な止まった空間が存在するのなら 刹那や須臾などの単位も必要になってきます

1秒という中でも 数えきれないほどの数の世界があるわけですから 人間が時間を単位にしたことによって きわめて短い時間の単位も必要になったのかもしれないと考えると辻褄が合います

 

パラパラ漫画の世界

その1枚1枚が須臾と言われる単位で 数千枚、数万枚の数が1秒だとすると膨大な数の空間を作り続けていることになります

その1枚1枚の中で様々な力が働いており 次の空間(次のページ)によって変化することができる 空間の中で動いているのではなく、空間そのものが動いている・・

パラパラ漫画のような世界なのではないかと思ったわけです

 

魂の次元

魂や精神と言われる存在は時間より上の存在だとしたら 

魂だけの状態であれば時間に抗えるのではないかと思いました

ようは死後の世界は 時間に抗った世界ではないかと

取り残されたという表現でもいいと思います

時間(空間)が別の空間に移動させられない存在が魂や精神ではないかと考えると

走馬灯やゾーンなどもこれである程度説明できます

そうなると人の魂などは5次元の存在ということになります

死後、過去の時代へ行くことも可能なのではないかと思います

 

時間を動かしているのは魂

魂があることで時間が進むのではないかとも考えられます

そう考えると 死後の世界で物体を動かすことができた説明がつきます

それは人が認識することで宇宙が存在するなど 人間原理の思想と重なります

人の認識できないものは ないものと同じ 

一見無茶苦茶な理論ですが、人間にとって都合がよすぎる世界や環境も 魂や精神が5次元だとするとある程度説明がつきそうです

 

未来は存在するのか

たぶんですが、今いるこの世界が最先端です

これより先は存在しないと思われます

人の魂がある世界より先に それより低位な時間という空間が存在できるのか

高位(魂)の存在が 低位(時間)なものの世界で予め決められているとは考えにくいです よって魂の存在しない世界なら見ることはできるかもしれませんが、人の存在する世界を予知や予言はできないと考えられます

 

予言はウソ

予知や予言は全てウソではないかと思います

予言ではなく予告

テクノロジーが違いすぎて認識できないから予言なわけで それらを説明できるテクノロジーがあれば ただの予告や予想なのではないかと思います

未来が決まっているなら 人が生まれる理由もないです

未来が決まっているなら 未来の予言なんてあっても仕方がないです

 

パラレルワールドは存在するのか

たぶん存在します

時間の止まった世界に 魂が移動したことで動き出した世界です

その世界の魂が望むものが形になった世界で たぶん全く違う世界になるはずです

無数にある中で辿り着けるのか、呼ばれるのかわかりませんが きっとあります

 

死後の世界とは

1度誰もいない止まった世界に行くはずです っていうか行きました

そこから迎えがきて 魂の集うパラレルワールドへ行くのか・・

それを天国と呼ぶのか地獄と呼ぶのかはわかりませんが

どれくらい記憶が残ってるかによるでしょうね 

そこんところがあまり覚えてないんです が 説明がつきます

(パソコンいじれたからある程度はあるはずなんです)

 

輪廻転生

たぶん肉体を得て紐づけされたら 否応なしに最先端の空間へ飛ばされるはずです

肉体(3次元)では時間(4次元)に抗えないはずです

記憶は肉体に依存してますので 前世の記憶はない ・・これも説明がつきます

 

まとめ

時間は空間であり、止まったものだとすれば 色々と説明がつきます

まぁ証明や実証はできないんですけどね

以前の私は、時間と重力は紐づいた力で 重力が逆転すれば時間も逆転すると思っていましたが それらは空間に宿る力だと考えれば 肉体を持って過去に行くことは不可能だと思います もちろん未来へも無理です

よって時間に可逆性はないです

やはりこの世界は理論物理学では説明できるものではないです

数字だけでは生命は説明できないですからね

量子力学のような不安定さ、強引さ、都合のよさが この世界の正体な気がします

タイムマシンってのは不可能ではないですが 一度死んでその空間の物質で再構築できる技術がないと無理なのか、それか3次元でも操れる4次元の力(時間に抵抗できる力)を発見するかでしょうね 

たぶん過去へ行けても生命はいない 日付と物体だけ過去の物の世界だと思いますが

そんな世界に行ってもなにも得るものはないでしょうし 過去は隔離された世界なので影響はないでしょうね

と、そんなことを考えた記録でした

 

 

十字架の意味

前回の『神々の未来』のつづきになります

十字架ってなんなんだろうって考えました 悪魔祓いなどで使われますが具体的にどういう効果があってどういう意味があるのか

ロザリオともいいますが ファティマの奇跡の中でマリア様がロザリオに言及している部分があるので オカルトのたぐいではないのかもしれないと思いました

今回はキリスト教の話なので かなり宗教色が強いです

 

ゴルゴダの丘磔刑

十字架といえばこれです イエスが磔にされたやつです

多くのロザリオには磔刑(たっけい)に処されている姿のものもあります

キリスト教なんて知らない人にはおじさんのSMプレイにも見えますが

実はこの磔刑というのは深い意味があるのかもしれないです

 

ユダの裏切り

イスカリオテのユダは裏切り者とされていますが 私はそうは思わないです

むしろ一番イエスを信じていたと思います

ユダはイエスがピンチに陥れば 必ず奇跡がおきると信じていました

その奇跡をもってイエスのすばらしさが広まる ユダヤが復活できると信じてた

でも起きなかった ・・罪にかられたユダは自ら命を絶ちます

エスの立場で考えればそうなることはわかっていたはずです

なのにユダに密告するよううながしたことになります 

自分を信じてくれたことに報いたのか いつかそういう目に合うと覚悟していたのか

 

磔刑の苦痛

磔に処されるまで 重い物を運ばされたり 民衆の見せ物にされたり 手に釘をさされたりで苦痛の連続でした すんなりあの世へいったわけではないです

そして最後まで命乞いをすることなく息絶えた 

とすればその姿はマリアにどう映ったのか・・そんなことを考えました

 

マリアの心痛

エスは神(オリジナル人類)ではありません 神はマリアです

エスはマリアの気に入った人、弟子に近いと私はみています

そんな弟子の姿はマリアにとって衝撃的だったのではないか

肉体的な苦痛に耐える姿もですが 精神的な高尚さが

マリアは人間を作った側で不老不死なので 苦痛や死を前に高尚でいられるイエスの姿に感銘を受けたのではないか

自分達の作った人間は 自分達にはできないことができると見ていたのかもしれません

多くの人間は神だと知ると媚びへつらい 恩恵や不死を求めてきました

自分達も死の恐怖から逃れるために不死の存在になった

それと真逆のことをしているイエスに対して 尊敬に近い想いを抱いたのかもしれません

 

十字架の示すもの

そんな最後の姿を模したものが十字架だとしたら 神(オリジナル)にとってイエスの行動は、人間のすばらしさの象徴なのではないかと思いました

不死を求める人間ばかりだったが、そうでない人間もいた

処刑を免れる選択肢もあったにもかかわらず

それが彼らにとって 人間は自分達と違う未来を築くという希望なのではないかと

そういった意味でオリジナルの中で衝撃的な出来事だったのではないかと思いました

そうなると十字架とは人間のすばらしさを模した象徴

オリジナルとの違いを示した象徴なのではないかと思ったわけです

 

まとめ

そうであるなら マリアがロザリオに言及するのもわかる気がします

ロザリオを持つことでイエスの行動を理解する者とみなしてるのかもしれないです

そう考えると 我々人間にとっての神はマリアですが マリアにとっての神はイエスなのかもしれないです

やはり神なんていない と思える人が正解な気がします

ただそういう人はロザリオなんて持ってないと思うんですけどね

ロザリオを持ち歩いてる人なんて十中八九 神の恩恵にすがりたい人です

いくら神を信仰しても恩恵が得られないのはそういうことではないかと思います

神が神を信仰してほしいなら 直接統治すればいいだけの話ですからね

 

歴史において 他人を差別し、奴隷を生み、戦争を起こしてきたのは神を信仰する人々でした 

神を信じる行為というのは 結局エゴでしかなく 自分がかわいいだけに思えます 

それが人として本来の能力を発揮できないのであれば 神を裏切ることだと思います

神はいると思います ですが信じてはいけない 信じるならば人を信じるべき

神(マリア)ではなく人(イエス)を信じる象徴が十字架の意味なのかもしれないって思いました

神々の未来

以前に書いた『輪廻転生の意味』の続きみたいになります

前回のを見てないと意味不明かもしれません

そして今回はマリア様などについてふれるのでちょっと宗教色が強いです

なぜオリジナルは人間を作る必要があったのかということですね

そしてなぜ直接人間を 助けようとしない 統治しようとしないのか

そんなことを書いていきます

 

ファティマの奇跡

ポルトガルで1917年に起きたできごとです 

この少女達に託した予言ってのの全貌は定かではないですが、内容としては

戦いをやめなさい 悔い改めなさい このままだと天罰が下りますよ

的な内容です 言ってみれば警告に近い脅しです

それを聞いた少女達にできることは法王に報告することだけでした

戦いをやめさせる力も 世の中を変える力も 少女にはないです

警告にしては不自然です 警告する対象を間違えてます そんな謎から始まりました

 

バチカン認定の奇跡

ファティマのほかにも ローマ法王に認定されてるだけでもけっこうあります

映像として記録があるのはガルバンダルや秋田などですが メッセージとしてはファティマの時と同じ内容です

ぶっちゃけ弱い立場の人間にいくら伝えられても 戦争なんてなくなりません

民衆が戦争を起こしてるわけではないですからね

民主主義といっても 結局はお金や組織を動かせるものが勝つわけですから 民衆に国を動かす力も 戦争を起こす力もないわけです 

特権階級や貴族階級に訴えてもらわないと警告の意味がないです

それなのに一般の子供相手に天罰が起きるなど脅しをかけている

成果も期待できないし トラウマを植え付けるだけですよね

どれも伝える内容に対して行動が不自然なんです 

 

マリア様の言葉の意味

最初に語り掛ける時 我が娘よ みたいな感じで語り始めるようです

その内容は前述したとおりですが これを親が子供に言い聞かせてると受け取ると少し意味が変わってきます

そもそも元凶でない子供に語り掛けてるわけですからね

「そんなことしてると 将来、ろくな大人にならないよ!」

と同じ意味なんじゃないかと思ったわけです

注意や警告はするけど 内容そのものはガチではない

天罰や地獄なども 親が子供を叱る時に誇張しただけなんじゃないかと思ったのです

その気になれば戦争をできなくさせるだけの科学技術はもってるはず

 

なぜ人間を直接管理しないのか

教えや啓示などがガチの警告なら 関節的ではなく直接的にするべきです

なのにいつも間接的で直接管理しようとはしないです

神ですよ~と登場して直接統治してもらえれば 人間側としても楽です

少なくとも意味のわからない特権に支配されることもないです

もし神が実際に統治する世界だとしたら 多くの人が従順に教えを守るはずです

ただ人は見返りを求めるので 神に対して不死を願うでしょうけどね

たぶんそういう時代もあったんだと思いますが それじゃ本末転倒なわけです

不死の個体が増えるだけ 人を作った意味がないです

それ(失敗の経験)があるので直接統治できないんじゃないかと思います

 

オリジナルの犯した失敗

彼らは文明が進むあまり 不老不死に手を付けたはずです

それから起こる問題については前回書いた通りです 文明が発展しなくなる

今のままで暮らせるなら それ以上の努力を望まない 老人と一緒です

そんな行き止まりから脱却するために 定命の人間を作ったと思います

オリジナルにとって人間は自分達の未来をも託す 希望の存在なのかもしれないです

将来的に自分達を救ってくれる存在であれば 一連の神としての行いに納得ができます

 

未来の予言

多くの宗教がらみでの予言はありますが ほとんどが脅しに近いものです

もし彼らに未来を知るすべがあったのなら 不老不死にはなってないはずです

子供相手に予言や警告を伝えないでしょう

理論的に未来を見るって不可能ですし 生命がいる限り未來視って無理です

(次元的に魂の方が時間より上なので 魂が望む未来は引き寄せられても 魂のある未来の時間軸を見ることは不可能)

そう考えると 多くが実現しないもの・・単なる脅しのたぐいの可能性が高いです

おばあちゃんが孫に語った大げさな話が予言の正体なのかも

宗教での教えや教義は おばあちゃんとの会話の記録でしかないのかも

一見不敬に思えるかもですが それが一番辻褄が合います

 

まとめ

やはり彼らに会うことができたら 可能なかぎり優しく接する必要がありますね

いつか立場が逆転する日が来るはずです

だから祈ってほしいんだと思います 気にかけてほしいんだと思います

で、おそらく戦争によって多くのものを失った過去があるはずです

争ってほしくないんでしょうね でも戦争が文明を発展させてきたのも事実

彼らにとっても色々複雑なんだろうと思います

そして彼らにとって 人間の子供が一番遠い存在であり 尊いんだと思います

ロリコンってわけではなく希望なのかも だからやたらと子供に接触したがる 

彼らから見たら老人でさえガキに近いはずです 

だから戦争もガキ同士のやってることに見えるはずです

そしてどんなに悪ガキでも かわいいんだと思います

いつか悪ガキから卒業して 親孝行できる日も来るんでしょうね

老人の手を引いて こっちだよって導くのは我々人間の役目なのかも

そういう意味で彼らにとっての神とは人間なのかもしれないですね

まぁ彼らと同じ不死の技術を手にしたら 滅ぼされるかもですがw

我々人間は不死の誘惑を拒めるかどうか・・そこが問題ですね

 

もし私が神で人を選別する役目なら そこを問いますね

神にすがる人間、不死を願う人間は必要ないです

皮肉なことに 神(オリジナル)にとって必要なのは 神を信じない人なんでしょうね 

10進数と12進数

この世界の多くが10進数で構成されています

数学や距離など 多くの単位が10を基準とした数字で表現されます

でも時間など12を基準としたものもあります

この違いってなんなんだろう って思ったことはないですか?

それを考えた記録です 

 

12進数

時間の単位が12です

24時間でも1時間は60分(120の半分)なので 実質12が基準です

昔の一刻とは2時間ですし 一日を12分割したものです

月もそうですね 暦(こよみ)など時間に関するものは12が基準です

海外では1ダースは12であり、英語も12(twelve)まで専用の単語があります

星座も12ですし 干支(十二支と十干)も120で12 

もともと12を基準としていたのではないか? そんな気がしました

ひょっとして12のほうがこの世の理(ことわり)に近いのではないかとも考えました

だって12って 2でも3でも4でも6でも割ることができます

非常に便利な数字だと思います 反面10は5と2でしか割ることができないです

 

12進数で置き換えてみる

色々考えました 水の温度も100℃で沸騰するなら 12進数に置き換えると83.3

それを144(12×12)に置き換えたら 絶対零度(-274℃)などがキリのいい数字になるのはではないか?

黄金比フィボナッチ数列を12進数に置き換えたら すっきりするのではないか?

円周率も12進数だと綺麗に割り切れるのではないか?

・・結果はそうでもなかったです 

10であれ12であれ大して変わらないですw

じゃあなぜ 10と12 ふたつも底とする数列が存在するのか そっちを考えました

 

指の数

10進数が普及してるのは 人間の指の数です

両手を使って数を表現できるからです ハンドサインで表現できるからですね

じゃあ12は? 人間の部位で12になるのはないです(十二指腸は見えないので論外)

なぜ12を底とする数列を使い始めたのか 根拠が見当たらないです

 

6本指

人間に文明を与えた生物が6本指だったのではないか?

それらが12を基準とした数字を使っていた それを人間に教えた

なので古いものは12を底としたものが多いのではないか そう考えました

実際 色々な伝承にある巨人って6本指なんですよね

人間と神(オリジナル人類)の間に生まれる子供は巨人になるとありますし

オリジナルは6本指なのかもしれないですね

 

10進数の意味

そうなると10進数とは人間が作り出したもの 与えられたものではなく自分達で作り出したものではないかと思うのです

そして日本はもともと10を底としていたようです 

漢数字も10までですし 古神道のひふみよいむなやこと(一二三与五六七八九十) もそうです 

同じ漢数字の中国も古くから十干(じっかん)など10を基準としたものがありますが、10以外のものも多いんですよね 八卦(はっけ)や五行など 

いろいろ考えたのかもしれないですね まぁ中国人って頭いいですから

 

まとめ

10というのは使い勝手は悪いですが 人にとって意味のある数字ではないかと思います

数的に考えれば12のほうが断然使い勝手がいいです

1ダースは2人家族でも3人家族でも4人家族でも均等に行き渡ります

10と12が入り乱れるこの世界は オリジナルからもらったものと 自分達でつくったものが混在してる結果なのかも 

そしてどちらも大切にしている結果なのかもしれないですね

とまぁ色々書きましたが、文系が数学を考えるとこうなっちゃうということですね

 

固定観念をすてると見えるもの ~倭の五王~

神功皇后のつづきとなります

日本が中国の宋との間に行った記録です

時代は西暦450年ごろの話です

天皇が日本人ではないことの証明でもあります

聞きなれない単語も出るので わかりやすく書いてきます

 

五王とは

讃・珍・済・興・武 という名で記されている王様のことです

一文字なんです まるで中国人です 

もしくは中国の統治下、文化圏の名前です

三国志劉備玄徳は 劉が姓で 備が名(自分がつける名) 玄徳があざ名(親がつける名です なので備にあたる部分ではないかと)

日本と中国とのやりとりは漢の時代から記録がありますが(帥升など)

一文字の王はいないです  ・・妙なんです 

 

遣宋使とは

文化的な交流ではなく 中国(宋)に対して朝鮮の支配を認めてもらう内容で

朝貢した(贈り物をおくってた)記録です

見返りに官位を求めていたようです

 

安東大将軍

認められた称号(役職)が安東大将軍です(東を安んじる将軍って意味)

実はそんなに高い地位を示す称号ではないです

本来であればその上 鎮東大将軍を求めるものだと思いますが 最初から下を求めてるんですね 

しかも征服されたわけでもないのに配下を示す 臣 を名乗るわけです

 

日出国の天子

少し時代が飛びますが聖徳太子が 隋の天子に宛てた文言に 

日出国の天子より日没する国の天子へ というのがありますが 

あくまで対等の関係を望んでいたことを示す言葉です

そして内容も学生を送ったり文化の交流が主でした

なぜ宋の時代はわざわざへりくだって 臣を名乗り 低い位の官職を求めたのか

国のスタンスとして 後の時代と辻褄が合わないんですよね 

まるで戦争して負けてる国のようです

なので五王とは 本当は日本の王ではなく ある地域を収めただけの王だったのではないかと思います でないと後の時代と辻褄が合わないです

 

倭の五王の正体

日本書紀には 中国の呉(三国志の呉)に交渉を行ったという記述があります 

応神天皇仁徳天皇雄略天皇の時に呉国と交渉をもったことが記されています

呉とは南宋ともとれます

応神天皇とは前回書いた神功皇后の子供です

応神天皇が 讃・珍・済・興・武 の内 どれに該当するのかはわかりませんが

この中のどれかであることは間違いないです

 

天皇は朝鮮からの渡来人

以前書いた神功皇后が朝鮮からやってきていたとすると 

中国の官職制度を理解し そういった称号を求めること

そして名も中国人っぽいことも説明がつきます

しかもわざわざ低い官位を求めてるあたり その辺もわきまえている

宋を呉と表記してる自体(日本と呉のやりとりはないので あの地域を呉と認識しない)

中国の地理や歴史を知る立場なんでしょう 朝鮮ならいやでも中国の影響下でしたからね 特に宋にとって百済は植民地に近いです

神功皇后が朝鮮から渡来したとすると ほとんど辻褄が合います

宋に対して求めた官職は朝鮮半島にやたらと固執したものです(特に百済固執

日本が朝鮮半島をほしがる理由もないですし、守る義理もないですからね

やはり天皇一族は朝鮮から来てますね 時代も西暦400年代前後でしょう

 

まとめ

のちに天皇を名乗る朝鮮から来た人達は

百済から九州に辿り着き 九州を支配したのでしょうね

そして倭の王を名乗って 中国の官職を求めた

何代も渡ってそれを求めたようなので よほど母国愛が強かったのか

(それなら朝鮮に帰ればいいのに)

天皇家が朝鮮に固執する理由は この時代からなんですね

大化改新で暗殺しまくって実質の王となった

そして白村江の戦い百済を救援しに向かう

負けて遷都して歴史を作り替えたんでしょうね

そして百済人同士で繁殖した結果、今もキムチが好きそうな顔をしているわけです

近代では朝鮮に固執するあまり 甲申事変からはじまり 日清戦争が起き 日韓併合 朝鮮がロシアを頼ったため日露戦争にまで発展した

その結果、有色人(日本人)が白人(ロシア人)を倒すことになってしまい 西洋に警戒され 勝ち目のない太平洋戦争に引きずり込まれた

朝鮮に固執しなければ起きなかった歴史です

・・ホント帰ればいいのに そう思います

そしてどんなに歴史を改変しても必ず歪みが生まれるということです

いつかは明るみになる時代が来るはずです

輪廻転生の意味

生まれ変わりって信じてない期間が長かったですが 

自分の経験や この世界をよくよく考えてみると 

あると考えるほうが自然な気がします

考えてみると輪廻って 実は素晴らしいシステムなんだと思いました

ということで 気づいたことを書いていきます

 

不死を求めた人

秦の始皇帝をはじめ 不老不死を求めた人は歴史上多く存在します

それらを求めた人は権力者であり、権力とは多くの民衆によって支えられるものです

いつまでもその権力が維持できたとしても 彼らは幸せになるのでしょうか?

そんな疑問があります

肉体に宿る衝動(欲)を満たしても 喜びなんて数秒のことですからね

では自分が不死の存在になったとしたら どんな人生になるのか考えてみました

 

不死の人生

人間が不老不死の存在だったとしたら 嫌なことやつらい事を永遠に記憶します

老人が長生きするのと同じで 精神的にできないことばかり増える 

子供の頃のように積極的に生きることができなくなるはずです

そういった失敗の経験や恐れから 意欲的に物事が進まないと思います

希望や願望より 保身と安定だけを求める人生になる

言い換えると怖いものばかりの人生になる気がします

 

精神の高齢化

この100年の発展はめざましいものがありますが 

それらは老人が築いたものではないので 多くの老人が時代に取り残されてます

最たる例として ATMで地蔵になってる老人 があります

たぶん身体的な老いではなく 精神的な老いだと思います

もう新しいことを始めたり 知ろうとする気力がないんでしょうね

新しいことを始めるより 自分のわかる範囲でしのごうとする

老人に限らず人間って 一度手にしたものは なかなか手放せないですからね 

よって同じ個体が長生きしても 文化や技術は発展しない気がします

 

文化の継承

輪廻という世代交代があることで前世の記憶がリセットされ また1からはじまります

先人や祖先の技術を継承しつつ また新たに進めることができる 

1個体が永遠に生きるより はるかに早く文化や技術が発展することになります

以前に書いたこの世界のゴールに早く近づくことができるわけです

逆にこのシステムじゃないと到達できないのかもしれないですね

だって宇宙の広がる速さって光より速いですから 

並みの科学力では外宇宙には行けないはず

そう考えると輪廻転生システムって効率がいいです

 

前世の記憶

記憶として鮮明には残ってないと思います 

ただなんとなくイヤなものとか好きなものってないですか?

私の前世はたぶん太平洋戦争で死んでるんじゃないかと思ってます

実は船に乗るのが言葉にならないほど怖いです(泳げるんですけどね)

初めてもらったお年玉で アメ横で海軍帽を買ったりしてました

初めて買ったプラモも軍艦ですし、中学の頃は軍艦の白黒写真とか集めてました

小さい時に無意識に近く感じるものって そういうことじゃないかなと思ってます 

 

めぐり会い

輪廻があっても おそらく同じ人と何回もめぐり合ってます

家族であったり恋人であったり 形を変えて今も昔も近くにいるはずです

親子の縁とか兄弟の縁って 物理的な感覚ではなく 精神的な感覚だと思います

家族以外でも無意識に自分に近い人 抵抗のない人を選んでいる

自分に自覚がなくても 相手も同じように選ぶとすれば 

結果的に同じ出会いを繰り返してるんじゃないかなと思ってます

縁のない人は親近感もわかないですし 相手側もそうですからね

縁のある人が一概にいい人ばかりではないはず 嫌な人もいるでしょうね

嫌だと思えるのは理解ができるからです 所作や心理を理解できるから許せない

基本的に自分に近い存在であり、同じ素養のある人なんでしょうね

私はいつもそう思ってます   

 

あやまちは繰り返す

精神的に成長してないと 生まれ変わるたびに同じ過ちを繰り返すはずです

記憶は肉体に依存します 

同じ過ちを起こさない為には心から変わらないと 次の人生でも同じことをします

そしてたぶん 以前(前世)も同じことをやってます

ただあやまちを起こせるのも 輪廻の恩恵であり生きてるってことなのかも 

実はすばらしいことなのかもしれません

 

不死の存在に出会ったら

まぁないとは思いますが もし出会うことがあったなら その人はきっと嫌なことだらけのはずです 色々なことに対して臆病なはずです

以前に書いてますが 人間を作れる生命体がいるのなら その生命体は不老不死に近いはずです 不死を求めたことをきっと後悔してるはずです

子供の頃に戻りたいけど戻れない老後を 永遠に繰り返してるわけですから

そんな存在にもし出会うことがあれば それは以前にも出会ってるはずです 

人の出会いも重力のひとつだと考えられますので 偶然ではなく必然のはずです

きっと不死となった存在でも出会いは繰り返します

なので嫌な思い出を作らせないように 楽しい思い出をつくるようにしてあげて下さい

 

まとめ

なんか宗教っぽくなりましたが 理論的に考えてそうでないとおかしいってことです

どうせ死んだら 記憶はもっていけません 安心して一喜一憂してください

どうしても嫌なことは 同じことが起きないよう 心そのものを変えて下さい

輪廻があるおかげで 失敗できる事もまた 人生としてすばらしいことになります

希望を持てるのも輪廻のおかげです 心が揺れ動くことも輪廻の恩恵でしょうね

人のすばらしさってそういうものなんだと思います

ただのきれいごとに聞こえると思います 自分も長らくそうでした

今思うと実はけっこう教えてくれてたんですよね 気づかないだけで

ようやくわかるようになりました 

この世界はきっと・・ いや、もっと主観で見るべきものなんでしょうね