十字架の意味

前回の『神々の未来』のつづきになります

十字架ってなんなんだろうって考えました 悪魔祓いなどで使われますが具体的にどういう効果があってどういう意味があるのか

ロザリオともいいますが ファティマの奇跡の中でマリア様がロザリオに言及している部分があるので オカルトのたぐいではないのかもしれないと思いました

今回はキリスト教の話なので かなり宗教色が強いです

 

ゴルゴダの丘磔刑

十字架といえばこれです イエスが磔にされたやつです

多くのロザリオには磔刑(たっけい)に処されている姿のものもあります

キリスト教なんて知らない人にはおじさんのSMプレイにも見えますが

実はこの磔刑というのは深い意味があるのかもしれないです

 

ユダの裏切り

イスカリオテのユダは裏切り者とされていますが 私はそうは思わないです

むしろ一番イエスを信じていたと思います

ユダはイエスがピンチに陥れば 必ず奇跡がおきると信じていました

その奇跡をもってイエスのすばらしさが広まる ユダヤが復活できると信じてた

でも起きなかった ・・罪にかられたユダは自ら命を絶ちます

エスの立場で考えればそうなることはわかっていたはずです

なのにユダに密告するよううながしたことになります 

自分を信じてくれたことに報いたのか いつかそういう目に合うと覚悟していたのか

 

磔刑の苦痛

磔に処されるまで 重い物を運ばされたり 民衆の見せ物にされたり 手に釘をさされたりで苦痛の連続でした すんなりあの世へいったわけではないです

そして最後まで命乞いをすることなく息絶えた 

とすればその姿はマリアにどう映ったのか・・そんなことを考えました

 

マリアの心痛

エスは神(オリジナル人類)ではありません 神はマリアです

エスはマリアの気に入った人、弟子に近いと私はみています

そんな弟子の姿はマリアにとって衝撃的だったのではないか

肉体的な苦痛に耐える姿もですが 精神的な高尚さが

マリアは人間を作った側で不老不死なので 苦痛や死を前に高尚でいられるイエスの姿に感銘を受けたのではないか

自分達の作った人間は 自分達にはできないことができると見ていたのかもしれません

多くの人間は神だと知ると媚びへつらい 恩恵や不死を求めてきました

自分達も死の恐怖から逃れるために不死の存在になった

それと真逆のことをしているイエスに対して 尊敬に近い想いを抱いたのかもしれません

 

十字架の示すもの

そんな最後の姿を模したものが十字架だとしたら 神(オリジナル)にとってイエスの行動は、人間のすばらしさの象徴なのではないかと思いました

不死を求める人間ばかりだったが、そうでない人間もいた

処刑を免れる選択肢もあったにもかかわらず

それが彼らにとって 人間は自分達と違う未来を築くという希望なのではないかと

そういった意味でオリジナルの中で衝撃的な出来事だったのではないかと思いました

そうなると十字架とは人間のすばらしさを模した象徴

オリジナルとの違いを示した象徴なのではないかと思ったわけです

 

まとめ

そうであるなら マリアがロザリオに言及するのもわかる気がします

ロザリオを持つことでイエスの行動を理解する者とみなしてるのかもしれないです

そう考えると 我々人間にとっての神はマリアですが マリアにとっての神はイエスなのかもしれないです

やはり神なんていない と思える人が正解な気がします

ただそういう人はロザリオなんて持ってないと思うんですけどね

ロザリオを持ち歩いてる人なんて十中八九 神の恩恵にすがりたい人です

いくら神を信仰しても恩恵が得られないのはそういうことではないかと思います

神が神を信仰してほしいなら 直接統治すればいいだけの話ですからね

 

歴史において 他人を差別し、奴隷を生み、戦争を起こしてきたのは神を信仰する人々でした 

神を信じる行為というのは 結局エゴでしかなく 自分がかわいいだけに思えます 

それが人として本来の能力を発揮できないのであれば 神を裏切ることだと思います

神はいると思います ですが信じてはいけない 信じるならば人を信じるべき

神(マリア)ではなく人(イエス)を信じる象徴が十字架の意味なのかもしれないって思いました

神々の未来

以前に書いた『輪廻転生の意味』の続きみたいになります

前回のを見てないと意味不明かもしれません

そして今回はマリア様などについてふれるのでちょっと宗教色が強いです

なぜオリジナルは人間を作る必要があったのかということですね

そしてなぜ直接人間を 助けようとしない 統治しようとしないのか

そんなことを書いていきます

 

ファティマの奇跡

ポルトガルで1917年に起きたできごとです 

この少女達に託した予言ってのの全貌は定かではないですが、内容としては

戦いをやめなさい 悔い改めなさい このままだと天罰が下りますよ

的な内容です 言ってみれば警告に近い脅しです

それを聞いた少女達にできることは法王に報告することだけでした

戦いをやめさせる力も 世の中を変える力も 少女にはないです

警告にしては不自然です 警告する対象を間違えてます そんな謎から始まりました

 

バチカン認定の奇跡

ファティマのほかにも ローマ法王に認定されてるだけでもけっこうあります

映像として記録があるのはガルバンダルや秋田などですが メッセージとしてはファティマの時と同じ内容です

ぶっちゃけ弱い立場の人間にいくら伝えられても 戦争なんてなくなりません

民衆が戦争を起こしてるわけではないですからね

民主主義といっても 結局はお金や組織を動かせるものが勝つわけですから 民衆に国を動かす力も 戦争を起こす力もないわけです 

特権階級や貴族階級に訴えてもらわないと警告の意味がないです

それなのに一般の子供相手に天罰が起きるなど脅しをかけている

成果も期待できないし トラウマを植え付けるだけですよね

どれも伝える内容に対して行動が不自然なんです 

 

マリア様の言葉の意味

最初に語り掛ける時 我が娘よ みたいな感じで語り始めるようです

その内容は前述したとおりですが これを親が子供に言い聞かせてると受け取ると少し意味が変わってきます

そもそも元凶でない子供に語り掛けてるわけですからね

「そんなことしてると 将来、ろくな大人にならないよ!」

と同じ意味なんじゃないかと思ったわけです

注意や警告はするけど 内容そのものはガチではない

天罰や地獄なども 親が子供を叱る時に誇張しただけなんじゃないかと思ったのです

その気になれば戦争をできなくさせるだけの科学技術はもってるはず

 

なぜ人間を直接管理しないのか

教えや啓示などがガチの警告なら 関節的ではなく直接的にするべきです

なのにいつも間接的で直接管理しようとはしないです

神ですよ~と登場して直接統治してもらえれば 人間側としても楽です

少なくとも意味のわからない特権に支配されることもないです

もし神が実際に統治する世界だとしたら 多くの人が従順に教えを守るはずです

ただ人は見返りを求めるので 神に対して不死を願うでしょうけどね

たぶんそういう時代もあったんだと思いますが それじゃ本末転倒なわけです

不死の個体が増えるだけ 人を作った意味がないです

それ(失敗の経験)があるので直接統治できないんじゃないかと思います

 

オリジナルの犯した失敗

彼らは文明が進むあまり 不老不死に手を付けたはずです

それから起こる問題については前回書いた通りです 文明が発展しなくなる

今のままで暮らせるなら それ以上の努力を望まない 老人と一緒です

そんな行き止まりから脱却するために 定命の人間を作ったと思います

オリジナルにとって人間は自分達の未来をも託す 希望の存在なのかもしれないです

将来的に自分達を救ってくれる存在であれば 一連の神としての行いに納得ができます

 

未来の予言

多くの宗教がらみでの予言はありますが ほとんどが脅しに近いものです

もし彼らに未来を知るすべがあったのなら 不老不死にはなってないはずです

子供相手に予言や警告を伝えないでしょう

理論的に未来を見るって不可能ですし 生命がいる限り未來視って無理です

(次元的に魂の方が時間より上なので 魂が望む未来は引き寄せられても 魂のある未来の時間軸を見ることは不可能)

そう考えると 多くが実現しないもの・・単なる脅しのたぐいの可能性が高いです

おばあちゃんが孫に語った大げさな話が予言の正体なのかも

宗教での教えや教義は おばあちゃんとの会話の記録でしかないのかも

一見不敬に思えるかもですが それが一番辻褄が合います

 

まとめ

やはり彼らに会うことができたら 可能なかぎり優しく接する必要がありますね

人間はたぶん彼らにとって 感情的にも現実的にも大切な存在なんでしょうね

いつか立場が逆転する日が来るはずです

だから祈ってほしいんだと思います 気にかけてほしいんだと思います

で、おそらく戦争によって多くのものを失った過去があるはずです

争ってほしくないんでしょうね でも戦争が文明を発展させてきたのも事実

彼らにとっても色々複雑なんだろうと思います

そして彼らにとって 人間の子供が一番遠い存在であり 尊いんだと思います

だからやたらと子供に接触したがる ロリコンってわけではなく希望なのかも

彼らから見たら老人でさえガキに近いはずです 

だから戦争もガキ同士のやってることに見えるはずです

そしてどんなに悪ガキでも かわいいんだと思います

いつか悪ガキから卒業して 親孝行できる日も来るんでしょうね

老人の手を引いて こっちだよって導くのは我々人間の役目なのかも

そういう意味で彼らにとっての神とは人間なのかもしれないですね

まぁ彼らと同じ不死の技術を手にしたら 滅ぼされるかもですがw

我々人間は不死の誘惑を拒めるかどうか・・そこが問題ですね

 

もし私が神で人を選別する役目なら そこを問いますね

不死を願う人間は必要ないです 願わないのであれば少し寿命を延ばすでしょうね

皮肉なことに 神(オリジナル)にとって必要なのは 神を信じない人なんでしょうね 

10進数と12進数

この世界の多くが10進数で構成されています

数学や距離など 多くの単位が10を基準とした数字で表現されます

でも時間など12を基準としたものもあります

この違いってなんなんだろう って思ったことはないですか?

それを考えた記録です 

 

12進数

時間の単位が12です

24時間でも1時間は60分(120の半分)なので 実質12が基準です

昔の一刻とは2時間ですし 一日を12分割したものです

月もそうですね 暦(こよみ)など時間に関するものは12が基準です

海外では1ダースは12であり、英語も12(twelve)まで専用の単語があります

星座も12ですし 干支(十二支と十干)も120で12 

もともと12を基準としていたのではないか? そんな気がしました

ひょっとして12のほうがこの世の理(ことわり)に近いのではないかとも考えました

だって12って 2でも3でも4でも6でも割ることができます

非常に便利な数字だと思います 反面10は5と2でしか割ることができないです

 

12進数で置き換えてみる

色々考えました 水の温度も100℃で沸騰するなら 12進数に置き換えると83.3

それを144(12×12)に置き換えたら 絶対零度(-274℃)などがキリのいい数字になるのはではないか?

黄金比フィボナッチ数列を12進数に置き換えたら すっきりするのではないか?

円周率も12進数だと綺麗に割り切れるのではないか?

・・結果はそうでもなかったです 

10であれ12であれ大して変わらないですw

じゃあなぜ 10と12 ふたつも底とする数列が存在するのか そっちを考えました

 

指の数

10進数が普及してるのは 人間の指の数です

両手を使って数を表現できるからです ハンドサインで表現できるからですね

じゃあ12は? 人間の部位で12になるのはないです(十二指腸は見えないので論外)

なぜ12を底とする数列を使い始めたのか 根拠が見当たらないです

 

6本指

人間に文明を与えた生物が6本指だったのではないか?

それらが12を基準とした数字を使っていた それを人間に教えた

なので古いものは12を底としたものが多いのではないか そう考えました

実際 色々な伝承にある巨人って6本指なんですよね

人間と神(オリジナル人類)の間に生まれる子供は巨人になるとありますし

オリジナルは6本指なのかもしれないですね

 

10進数の意味

そうなると10進数とは人間が作り出したもの 与えられたものではなく自分達で作り出したものではないかと思うのです

そして日本はもともと10を底としていたようです 

漢数字も10までですし 古神道のひふみよいむなやこと(一二三与五六七八九十) もそうです 

同じ漢数字の中国も古くから十干(じっかん)など10を基準としたものがありますが、10以外のものも多いんですよね 八卦(はっけ)や五行など 

いろいろ考えたのかもしれないですね まぁ中国人って頭いいですから

 

まとめ

10というのは使い勝手は悪いですが 人にとって意味のある数字ではないかと思います

数的に考えれば12のほうが断然使い勝手がいいです

1ダースは2人家族でも3人家族でも4人家族でも均等に行き渡ります

10と12が入り乱れるこの世界は オリジナルからもらったものと 自分達でつくったものが混在してる結果なのかも 

そしてどちらも大切にしている結果なのかもしれないですね

とまぁ色々書きましたが、文系が数学を考えるとこうなっちゃうということですね

 

固定観念をすてると見えるもの ~倭の五王~

神功皇后のつづきとなります

日本が中国の宋との間に行った記録です

時代は西暦450年ごろの話です

天皇が日本人ではないことの証明でもあります

聞きなれない単語も出るので わかりやすく書いてきます

 

五王とは

讃・珍・済・興・武 という名で記されている王様のことです

一文字なんです まるで中国人です 

もしくは中国の統治下、文化圏の名前です

三国志劉備玄徳は 劉が姓で 備が名(自分がつける名) 玄徳があざ名(親がつける名です なので備にあたる部分ではないかと)

日本と中国とのやりとりは漢の時代から記録がありますが(帥升など)

一文字の王はいないです  ・・妙なんです 

 

遣宋使とは

文化的な交流ではなく 中国(宋)に対して朝鮮の支配を認めてもらう内容で

朝貢した(贈り物をおくってた)記録です

見返りに官位を求めていたようです まぁ却下されたわけですが

 

安東大将軍

認められた称号(役職)が安東大将軍です(東を安んじる将軍って意味)

実はそんなに高い地位を示す称号ではないです

本来であればその上 鎮東大将軍を求めるものだと思いますが 最初から下を求めてるんですね 

しかも征服されたわけでもないのに配下を示す 臣 を名乗るわけです

 

日出国の天子

少し時代が飛びますが聖徳太子が 隋の天子に宛てた文言に 

日出国の天子より日没する国の天子へ というのがありますが 

あくまで対等の関係を望んでいたことを示す言葉です

そして内容も学生を送ったり文化の交流が主でした

なぜ宋の時代はわざわざへりくだって 臣を名乗り 低い位の官職を求めたのか

国のスタンスとして 後の時代と辻褄が合わないんですよね 

まるで戦争して負けてる国のようです

なので五王とは 本当は王ではなかった そう思います

 

倭の五王の正体

日本書紀にはこの五王のことは書いてないのですが 中国の呉(三国志の呉)に交渉を行ったという記述があります 

応神天皇仁徳天皇雄略天皇の時に呉国と交渉をもったことが記されています

呉とは南宋ともとれます

応神天皇とは前回書いた神功皇后の子供です

応神天皇が 讃・珍・済・興・武 の内 どれに該当するのかはわかりませんが

この中のどれかであることは間違いないです

 

天皇は朝鮮からの渡来人

以前書いた神功皇后が朝鮮からやってきていたとすると 

中国の官職制度を理解し そういった称号を求めること

そして名も中国人っぽいことも説明がつきます

しかもわざわざ低い官位を求めてるあたり その辺もわきまえている

宋を呉と表記してる自体(日本と呉のやりとりはないので あの地域を呉と認識しない)

中国の地理や歴史を知る立場なんでしょう 朝鮮ならいやでも中国の影響下でしたからね 特に宋にとって百済は植民地に近いです

神功皇后が朝鮮から渡来したとすると ほとんど辻褄が合います

宋に対して求めた官職は朝鮮半島にやたらと固執したものです(特に百済固執

日本が朝鮮半島をほしがる理由もないですし、守る義理もないですからね

やはり天皇一族は朝鮮から来てますね 時代も西暦400年代前後でしょう

 

まとめ

のちに天皇を名乗る朝鮮から来た人達は

百済から九州に辿り着き 九州を支配したのでしょうね

そして倭の王を名乗って 中国の官職を求めた

何代も渡ってそれを求めたようなので よほど母国愛が強かったのか

(それなら朝鮮に帰ればいいのに)

天皇家が朝鮮に固執する理由は この時代からなんですね

大化改新で暗殺しまくって実質の王となった

そして白村江の戦い百済を救援しに向かう

負けて遷都して歴史を作り替えたんでしょうね

そして百済人同士で繁殖した結果、今もキムチが好きそうな顔をしているわけです

近代では朝鮮に固執するあまり 甲申事変からはじまり 日清戦争が起き 日韓併合 朝鮮がロシアを頼ったため日露戦争にまで発展した

その結果、有色人(日本人)が白人(ロシア人)を倒すことになってしまい 西洋に警戒され 勝ち目のない太平洋戦争に引きずり込まれた

朝鮮に固執しなければ起きなかった歴史です

・・ホント帰ればいいのに そう思います

そしてどんなに歴史を改変しても必ず歪みが生まれるということです

 

 

 

 

輪廻転生の意味

生まれ変わりって信じてない期間が長かったですが 

自分の経験や この世界をよくよく考えてみると 

あると考えるほうが自然な気がします

考えてみると輪廻って 実は素晴らしいシステムなんだと思いました

ということで 気づいたことを書いていきます

 

不死を求めた人

秦の始皇帝をはじめ 不老不死を求めた人は歴史上多く存在します

それらを求めた人は権力者であり、権力とは多くの民衆によって支えられるものです

いつまでもその権力が維持できたとしても 彼らは幸せになるのでしょうか?

そんな疑問があります

肉体に宿る衝動(欲)を満たしても 喜びなんて数秒のことですからね

では自分が不死の存在になったとしたら どんな人生になるのか考えてみました

 

不死の人生

人間が不老不死の存在だったとしたら 嫌なことやつらい事を永遠に記憶します

老人が長生きするのと同じで 精神的にできないことばかり増える 

子供の頃のように積極的に生きることができなくなるはずです

そういった失敗の経験や恐れから 意欲的に物事が進まないと思います

希望や願望より 保身と安定だけを求める人生になる

言い換えると怖いものばかりの人生になる気がします

 

精神の高齢化

この100年の発展はめざましいものがありますが 

それらは老人が築いたものではないので 多くの老人が時代に取り残されてます

最たる例として ATMで地蔵になってる老人 があります

たぶん身体的な老いではなく 精神的な老いだと思います

もう新しいことを始めたり 知ろうとする気力がないんでしょうね

新しいことを始めるより 自分のわかる範囲でしのごうとする

老人に限らず人間って 一度手にしたものは なかなか手放せないですからね 

よって同じ個体が長生きしても 文化や技術は発展しない気がします

 

文化の継承

輪廻という世代交代があることで前世の記憶がリセットされ また1からはじまります

先人や祖先の技術を継承しつつ また新たに進めることができる 

1個体が永遠に生きるより はるかに早く文化や技術が発展することになります

以前に書いたこの世界のゴールに早く近づくことができるわけです

逆にこのシステムじゃないと到達できないのかもしれないですね

だって宇宙の広がる速さって光より速いですから 

並みの科学力では外宇宙には行けないはず

そう考えると輪廻転生システムって効率がいいです

 

前世の記憶

記憶として鮮明には残ってないと思います 

ただなんとなくイヤなものとか好きなものってないですか?

私の前世はたぶん太平洋戦争で死んでるんじゃないかと思ってます

実は船に乗るのが言葉にならないほど怖いです(泳げるんですけどね)

初めてもらったお年玉で アメ横で海軍帽を買ったりしてました

初めて買ったプラモも軍艦ですし、中学の頃は軍艦の白黒写真とか集めてました

小さい時に無意識に近く感じるものって そういうことじゃないかなと思ってます 

 

めぐり会い

輪廻があっても おそらく同じ人と何回もめぐり合ってます

家族であったり恋人であったり 形を変えて今も昔も近くにいるはずです

親子の縁とか兄弟の縁って 物理的な感覚ではなく 精神的な感覚だと思います

家族以外でも無意識に自分に近い人 抵抗のない人を選んでいる

自分に自覚がなくても 相手も同じように選ぶとすれば 

結果的に同じ出会いを繰り返してるんじゃないかなと思ってます

縁のない人は親近感もわかないですし 相手側もそうですからね

縁のある人が一概にいい人ばかりではないはず 嫌な人もいるでしょうね

嫌だと思えるのは理解ができるからです 所作や心理を理解できるから許せない

基本的に自分に近い存在であり、同じ素養のある人なんでしょうね

私はいつもそう思ってます   

 

あやまちは繰り返す

精神的に成長してないと 生まれ変わるたびに同じ過ちを繰り返すはずです

記憶は肉体に依存します 

同じ過ちを起こさない為には心から変わらないと 次の人生でも同じことをします

そしてたぶん 以前(前世)も同じことをやってます

ただあやまちを起こせるのも 輪廻の恩恵であり生きてるってことなのかも 

実はすばらしいことなのかもしれません

 

不死の存在に出会ったら

まぁないとは思いますが もし出会うことがあったなら その人はきっと嫌なことだらけのはずです 色々なことに対して臆病なはずです

以前に書いてますが 人間を作れる生命体がいるのなら その生命体は不老不死に近いはずです 不死を求めたことをきっと後悔してるはずです

子供の頃に戻りたいけど戻れない老後を 永遠に繰り返してるわけですから

そんな存在にもし出会うことがあれば それは以前にも出会ってるはずです 

人の出会いも重力のひとつだと考えられますので 偶然ではなく必然のはずです

きっと不死となった存在でも出会いは繰り返します

なので嫌な思い出を作らせないように 楽しい思い出をつくるようにしてあげて下さい

 

まとめ

なんか宗教っぽくなりましたが 理論的に考えてそうでないとおかしいってことです

どうせ死んだら 記憶はもっていけません 安心して一喜一憂してください

どうしても嫌なことは 同じことが起きないよう 心そのものを変えて下さい

輪廻があるおかげで 失敗できる事もまた 人生としてすばらしいことになります

希望を持てるのも輪廻のおかげです 心が揺れ動くことも輪廻の恩恵でしょうね

人のすばらしさってそういうものなんだと思います

ただのきれいごとに聞こえると思います 自分も長らくそうでした

今思うと実はけっこう教えてくれてたんですよね 気づかないだけで

ようやくわかるようになりました 

この世界はきっと・・ いや、もっと主観で見るべきものなんでしょうね

 

固定観念をすてると見えるもの ~木花咲弥~

今までのを見返してみたらタイトルになるのは女性ばかりですね。

別にフェミニストではないです。

さて、今回はコノハナサクヤです。

ずっと勘違いをしていました。いつか富士宮神社へ謝りにいかないとです。

 

木花咲弥

天照の妹

初代天照であるニギハヤヒの妹です。

富士山を祀る富士宮神社で主祭神として祀られています。副祭神にはニニギ。

ニニギ(天皇の祖先)に嫁いだとされています。

コノハナとは桜を意味するようです。桜を咲かせるという意味かも。

まぁ神様の名前って個人名じゃないです。役職名であったり通り名であったりがほとんどです。

 

不死の薬

竹取物語で帝から不死の薬を捨てるよう命じられ、岩笠という人が富士山へ赴きます。

その岩笠から不死の薬を奪ったとされています。

そういった伝承があり不死山から次第に富士山と呼ばれるようになったわけですね。

 

岩笠

記録がないです。どんな人だったのかわかりません。不死の薬を預けられるほど忠実な者であったかどうかわかりません。そして伝承が本当であればひとつの疑問がでてきます。

 

富士宮神社

前述したとおり祀られているのはコノハナサクヤです。奪った側なんですね。

普通に考えて祀られるのは岩笠のはずです。人の物を奪った人を信仰しないはず。

まして帝の命令に私欲で逆らったわけですし。

もしかして逆? そう思ったんです。

 

逆だと仮定した場合

帝は天照です。すなわち兄です。兄から捨ててくるように言われた。

でも道中、岩笠に襲われた。やむを得ず不死の薬を服用した。

逆だった場合の方が神社で祀られる人っぽくなるわけです。

 

徐福

その話が中国に伝わり、秦の始皇帝の命令で不老不死の秘薬を探しに日本へ派遣されます。

3000人ほど引き連れて国内をうろつけば歴史に残りそうですが、天皇の作った歴史に残るわけないですね。

時期は紀元前210年頃のはずです。なのでコノハナサクヤの話は紀元前250年頃の話だと推測できます。兄の天照が稲作を広めた時期と学術的に一致するわけです。

 

月のいはかさの呪い

東方プロジェクトの藤原妹紅のスペルカードがヒントになりました。

わざわざ月のってつけた理由はなんだ? と思ったわけです。

東方において月とはかぐや姫側の勢力です。すなわち不死の薬を与える側です。

与える側に捨ててこいと命令するか? 失礼だよねってなり、もしかして逆?と気づいたわけです。

もちろんそれを知るためには帝(天照)がどういう人か知っておく必要はありますが。

ある程度の知識があれば東方は色々ヒントをくれます。

正直いってZUNさんは私よりはるか格上の存在です。

そして藤原妹紅のテーマ曲の【月まで届け不死の煙】ってどことなく悲しいメロディなんですよね。

ちなみに藤原妹紅の藤原はニニギに嫁いだとされるから、妹は天照の妹、紅は女性を指すのか色を指すのか不明です。なのでモデルはコノハナサクヤです。

いつかお礼を言いたいなって思ってます。(多分この人人間じゃないけどw)

 

まとめ

妹って基本的にお兄ちゃんに厳しいです。

そんな妹だから信用して廃棄を任せたと考えるとコノハナサクヤが捨てに行ったと考えて辻褄が合います。

兄を支えた妹だったんでしょうね。

しっかり者の妹だったんではないかと。

捨てるように提案したのも彼女だった可能性もあります。

そんな妹を後の時代の天皇に利用された。

ニニギは前回書いたとおり卑弥呼より後で、4世紀か5世紀頃の人物だと思われます。なので500年以上時代が違います。嫁ぐことなんて無理なわけです。

冷静に考えれば、奪った人が神社で主祭神とはならないわけで、完全に見落としていました。

 

固定観念を捨てると見えるもの ~神功皇后~

前回これで最後としましたが、その後わかったことがあったので書き記します。

神功皇后という人についてです。

 

神功皇后の正体

神功皇后

この人がずっと謎でした。宇佐八幡宮をはじめ、住吉神社八幡神社と多くの神社で祀られています。稲作を伝えた天照大神より多いと思います。戦いの神だあったり、航海の神であったり、安産の神であったり多種多様です。

日本で一番最初にお札になった方であり、戦時中は卑弥呼だと教えていたようです。

 

宇佐八幡宮

天皇の即位を決める権限があったようで、ここからの信託が次の天皇を決めました。

宇佐八幡宮信託事件というものがあったり、天皇家にとって大事な神社のようです。

今でもお忍びで参拝してるというのを目にしました。なぜ忍ぶ必要があるんでしょう。

 

三韓征伐

神功皇后の功績としてはまずこれがあります。韓国へ攻め入った話です。

目的は弓月氏を保護し日本へ連れ帰ることです。作戦は成功し、この時の活躍で戦いの神として、航海の神として後に祀られます。

 

月氏

のちに秦氏と名を変えます。秦氏で有名なのが秦河勝聖徳太子の側近です。

能楽の祖であったり我が国の文化を大きく発展させました。

 

歴代天皇に数えられていない

明確な功績があるにも関わらず歴代天皇に数えられていません。

女だから?女性の天皇は多数います。そして今でも天皇家にとって大事な存在です。

ここが引っかかりますし、謎を解くカギだと思いました。

ひょっとすると天照を女性にしたのは神功皇后を天照にしようとしたからかもです。

 

天皇家の祖先?

天皇家の祖先といえばニニギです。高千穂の天孫降臨の人です。

ニニギの母親なのではないか・・そう思ったのです。

もちろん日本の歴史は天皇がつくってますので書物としての証拠はないです。

ただ、そう仮定すると辻褄が合うものが多数出てきます。

 

三韓征伐の疑問点

日本から韓国(新羅)に攻め入れば高い確率で迷子になります。

朝鮮出兵加藤清正は迷ってロシアの方までいきました。

なのにピンポイントで弓月氏を発見、保護、帰還しています。

まるで土地勘があるかのようです。

 

白村江の戦い

少し時代は飛びますが、百済の救援として朝鮮の争いに日本が加担します。

結果、唐と戦うことになり敗北し危機感を感じて奈良から京都へ遷都します。

遣隋使や遣唐使で良好な関係だったものを壊して百済を救援する意図が見えません。

自国を危険に晒してまで百済を救う、肩入れする理由があったとするなら、元々の母国だったからではないかと思うのです。

 

神功皇后は朝鮮から来た?

神功皇后の時代は卑弥呼の時代より100年ぐらい後です。

もし朝鮮から渡ってきたのであれば卑弥呼を知らなくても無理はありません。彼らの作った歴史に登場しないのは当然です。

朝鮮は3国時代になったりでずっと争ってましたから、そこから避難してきたとしてもなんら不思議ではないです。

朝鮮から渡ると辿り着く先は九州になります。

神功皇后宇佐八幡宮も、ニニギの高千穂神社も九州なんですよね。

 

白い旗

神功皇后は白い旗を掲げて戦っていたらしいです。

それが強かったので戦いの神として祀られているようです。

古代において旗を使うのは識別の重要性から画期的だったんだろうなと思っていましたが、朝鮮から来たのであれば、中国の影響下にありますので旗がどういうものか知ってるはずです。

中国はだいぶ昔から旗に文字を書き込んで戦ってます、白旗で戦うってまさか降参したふりをして戦ってたってこと?・・それなら勝てるだろうけど、だまし討ちですよね。

でも、八岐大蛇や酒呑童子も宴会で酔わせてから殺害する手口だったので、藤原一族の伝統的な戦い方なのかもしれないです。

 

手塚治虫火の鳥

この作品で、卑弥呼の死後にニニギが攻め入って来る話があります。

当時は手塚治虫って歴史知らないの?って思っていましたが、これこそが正しかった可能性があります。

神功皇后卑弥呼の時代より後なわけですから、それらの子孫であれば卑弥呼より後になるわけです、だから神功皇后はニニギの母親なんじゃないかと思ったわけです。

 

 

天皇制が続く理由

武士も公家も天皇からの派生

源氏は清和天皇から、平氏桓武天皇からの派生です。公家はいうまでもないですね。

武士が天皇に謁見する際、姓(かばね)を名乗る必要があります。

織田信長なら平信長と名乗ります。天皇から与えられた姓を名乗るわけです。

なので一族で支配してる形を再確認することとなり、武士は天皇を排除しようとは思わないわけです。

まぁ足利義満織田信長はイレギュラーだったみたいですがw

 

封建社会とは

土地は全て天皇のもの。それを民衆に貸し出すという形で税をとる社会です。

それを管理・徴収するのが武士の役目になります。

なのでいくら幕府が出来ようが天皇を中心とした既得権益が築かれることになります。

これが天皇制が長く続いている理由です。

簡単にいうと武士も公家も天皇もグルなんです。その中で権力争いをしてるだけ。

でも天皇がいなくなると土地はその土地の農民のものとなってしまいます。そうなると民衆から税を徴収する理由がなくなります。武士がいくら武力を持っていても、天皇という存在を残す必要があるんです。

なので天皇は武力や領地を持つ必要がなく長く存続するわけですね。

民衆にとって天照の子孫を名乗ることがどれほど大きかったかわかります。

 

まとめ

天皇の正体を暴くのは卑弥呼なんでしょうね。

以前に書いたように卑弥呼が載っていないのが彼らにとって致命的です。

邪馬台国の場所を暴けば、彼らが権力の中枢にいなかったことを証明できます。

まぁそこまではだいぶ前にたどり着いていたんですが、今回それが鮮明になった気がします。

そして火の鳥が正しかったとすると、猿田彦イザナギも神話で語られる存在でない可能性が高いです。どこかに真実が残されていると信じてます。

といっても私の場合、直感みたいなもんなんですよねw ふと頭に入って来るw

もちろん知りたいと思うことが前提である程度の勉強は必要ですが。

次回はコノハナサクヤについて書きます。