十字架の意味

前回の『神々の未来』のつづきになります

十字架ってなんなんだろうって考えました 悪魔祓いなどで使われますが具体的にどういう効果があってどういう意味があるのか

ロザリオともいいますが ファティマの奇跡の中でマリア様がロザリオに言及している部分があるので オカルトのたぐいではないのかもしれないと思いました

今回はキリスト教の話なので かなり宗教色が強いです

 

ゴルゴダの丘磔刑

十字架といえばこれです イエスが磔にされたやつです

多くのロザリオには磔刑(たっけい)に処されている姿のものもあります

キリスト教なんて知らない人にはおじさんのSMプレイにも見えますが

実はこの磔刑というのは深い意味があるのかもしれないです

 

ユダの裏切り

イスカリオテのユダは裏切り者とされていますが 私はそうは思わないです

むしろ一番イエスを信じていたと思います

ユダはイエスがピンチに陥れば 必ず奇跡がおきると信じていました

その奇跡をもってイエスのすばらしさが広まる ユダヤが復活できると信じてた

でも起きなかった ・・罪にかられたユダは自ら命を絶ちます

エスの立場で考えればそうなることはわかっていたはずです

なのにユダに密告するよううながしたことになります 

自分を信じてくれたことに報いたのか いつかそういう目に合うと覚悟していたのか

 

磔刑の苦痛

磔に処されるまで 重い物を運ばされたり 民衆の見せ物にされたり 手に釘をさされたりで苦痛の連続でした すんなりあの世へいったわけではないです

そして最後まで命乞いをすることなく息絶えた 

とすればその姿はマリアにどう映ったのか・・そんなことを考えました

 

マリアの心痛

エスは神(オリジナル人類)ではありません 神はマリアです

エスはマリアの気に入った人、弟子に近いと私はみています

そんな弟子の姿はマリアにとって衝撃的だったのではないか

肉体的な苦痛に耐える姿もですが 精神的な高尚さが

マリアは人間を作った側で不老不死なので 苦痛や死を前に高尚でいられるイエスの姿に感銘を受けたのではないか

自分達の作った人間は 自分達にはできないことができると見ていたのかもしれません

多くの人間は神だと知ると媚びへつらい 恩恵や不死を求めてきました

自分達も死の恐怖から逃れるために不死の存在になった

それと真逆のことをしているイエスに対して 尊敬に近い想いを抱いたのかもしれません

 

十字架の示すもの

そんな最後の姿を模したものが十字架だとしたら 神(オリジナル)にとってイエスの行動は、人間のすばらしさの象徴なのではないかと思いました

不死を求める人間ばかりだったが、そうでない人間もいた

処刑を免れる選択肢もあったにもかかわらず

それが彼らにとって 人間は自分達と違う未来を築くという希望なのではないかと

そういった意味でオリジナルの中で衝撃的な出来事だったのではないかと思いました

そうなると十字架とは人間のすばらしさを模した象徴

オリジナルとの違いを示した象徴なのではないかと思ったわけです

 

まとめ

そうであるなら マリアがロザリオに言及するのもわかる気がします

ロザリオを持つことでイエスの行動を理解する者とみなしてるのかもしれないです

そう考えると 我々人間にとっての神はマリアですが マリアにとっての神はイエスなのかもしれないです

やはり神なんていない と思える人が正解な気がします

ただそういう人はロザリオなんて持ってないと思うんですけどね

ロザリオを持ち歩いてる人なんて十中八九 神の恩恵にすがりたい人です

いくら神を信仰しても恩恵が得られないのはそういうことではないかと思います

神が神を信仰してほしいなら 直接統治すればいいだけの話ですからね

 

歴史において 他人を差別し、奴隷を生み、戦争を起こしてきたのは神を信仰する人々でした 

神を信じる行為というのは 結局エゴでしかなく 自分がかわいいだけに思えます 

それが人として本来の能力を発揮できないのであれば 神を裏切ることだと思います

神はいると思います ですが信じてはいけない 信じるならば人を信じるべき

神(マリア)ではなく人(イエス)を信じる象徴が十字架の意味なのかもしれないって思いました