とても綺麗で神聖な場所に感じました。
場所は天橋立。日本海側の京都府になります。撮影時の時刻は8;30ぐらいです。
訪れた理由は、歴史を勉強・考察した中で最高の神社であると思ったからです。
詳しい理由については過去のブログで考察を書いていますが、日本の原点になった神社だと思っています。
以下は私の考える歴史です。
大国主は美人と名高い八上姫に一目会おうと島根から鳥取へ向かいました。
その道中でうさぎと出会い、助けることで八上姫への橋渡しを得ました。
そして天橋立の地で八上姫と出会い結ばれます。
ここで二人暮らしたのち、大国主は稲作の技術を全国に広めていきます。
島国で食料事情の厳しかった国に稲作は浸透し、ひとつの国ができあがりました。
武力ではない統一、大きな和をつむぐ国としてやまとと名付けた。
そう勝手に思っています。
その稲作の技術を元々持っていたのは八上姫のいた国。因幡(いなば)ではないかと思っています。因幡は元々 稲場(いなば)であり、風土記には稲場の白兎となっています。
もちろん兎がしゃべるはずもなく、兎は人であったと推測できます。
因幡の白兎の話と全く同じ話がシベリアにもあることから、出典はシベリアで その話になぞらえて大国主を称えたものではないかと思っています。そうなると白兎はシベリア特有の兎の帽子をかぶった人ではないかと思います。
そうなると八上姫はシベリア系の人種になります。ハーフやクォーターなら美人として有名になるのも不思議な話ではないです。
この八上姫がこの神社で祀られる豊受大神ではないかと考えます。
有名な天照大神は内宮で ほぼ同格扱いです。
稲作を伝えた功績があるなら天照と同等に扱われて不自然ではないです。
伊勢神宮に稲作を伝えたとされる白真名鶴(しろまなづる)の伝承というのがあります。そして豊受大神を祀る真名井神社。豊受大神が稲作を授けたと考えられます。
(↑写真の真名井神社は元伊勢籠神社から800m奥に進んだ場所にあります。)
場所的にも 出雲大社→白兎神社の延長線上にあり、大国主が当初ここへ向かう途中で白兎に出会ったと推測できます。
八上姫=豊受大神 だとすると 大国主=天照大神 の線も濃厚になります。
実際、白兎の後日談で天照を道案内するという話もあります。
出雲一国の領主が大国主って変ですからね。
大国主が全国を歩きまわり稲作を伝えた。のちに大国主は天照という称号を名乗り、その功績は天照大神として残ったとすると色々辻褄が合います。
さて、八上姫は豊受大神であり、美人なお姫様だったとすると美人繋がりで日本には かぐや姫という存在があります。
このかぐや姫となにか関連があるのかですが、豊受大神は籠の中に入っていたという話があります。
籠って竹で作ります。竹製品の中にいるってことは、竹の中からってことになりませんか? 実際竹の中で人は生きられないです。籠の中の比喩じゃないかと思います。
竹取物語の中で印象的なのは、不死の薬です。
不死の薬を捨てたのが不死山で、今の富士山です。
その道中で不死の薬を奪ったのが、木花咲耶姫(コノハナサクヤビメ)です。
富士宮神社で祀られてる方です。
もし、竹取物語が事実を元にしていなければ 富士山の名前も富士宮神社も根拠がなくなります。逆に事実を元にしていれば、秦の始皇帝が不老不死の薬を求めて徐福を派遣した辻褄も合います。
秦の始皇帝の時代はB.C.220年頃。そうなるとそれ以前の話となります。
仮にB.C.250年頃だとすると、稲作の伝来時期と重なります。
事実であるなら紀元前250~300年頃の話だったのではないかと推測できます。
そうすると時期的にも 豊受大神=かぐや姫の線が濃厚になります。
そして大国主は、のちに天照大神とされるとすると かぐや姫と天照がこの国の礎を作ったことになります。そう考えると素晴らしい国に思えてきませんか?
この神社の宮司である海部氏には、最古の家系図があります。(国宝)
起源をB.C.250年頃とした場合、時期的に見ても不自然さがないです。
かつて、日本をまとめた王は かぐや姫と天照の末裔だったのかもしれません。
そして邪馬台国はヤマト国と読みます。場所も大和です。(この辺は前に書いてます)
歴史はある存在によって歪められています。だから謎が多くなっています。
倭の国は日本へと変わったように、日本にとって都合の悪いものは謎になりました。
大化改新以降と以前では支配体系が変わり、王も天照から天皇へと変わりました。
天照とはかつての王を指す称号で、歴史とは天皇にとってのものです。
こういった説明文は、後から作られた歴史を崩さない程度に書かれています。(天皇名が付けられたのはだいぶ後の時代ですし)
もちろん何を信じるかは自由ですし、何が正しくても何も変わりません。
真実は人によって変わってもいいと思っています。
ただ私が興味を持ち勉強した集大成がこの神社でした。
この神社へ行き、和をにぎと読むことを知りました。これで全て繋がりました。
もうこれ以上の歴史の考察はしなくていいなと思いました。
この神社は日本の原点であり、私の中で終点となりました。
ゆえに題名に霊知のとつけさせてもらいました。
「日本に稲作を広めてくれたことに、国民の一人として感謝いたします。」
そんなことを言いに行きました。
帰りの道中は幸運というより奇跡の連発でしたねw 行ってよかったです。
縁結びでもあるので、大事な人がいるなら一緒に行くといいと思います。
赤米うどんがうまかったですね。
この神社を訪れる人に幸運を願います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。