真実を探す人へ

この世界の真実、本当の自分、真理などを求めている人へになります。

そういう人はなにかしらの違和感をこの世界に感じているんじゃないかと思います。

わたしも同じようにこの世の真理や理を追い求めていた人間です。

そこで私がたどり着いたことについて書いておこうと思います。

 

神の存在

神の正体

神は存在します。それはあなた自身です。

神としての記憶と知性がないだけで、心の部分にだけ神が残っています。

神の精(もと)と書いて精神です。

神への経(みち)と書いて神経です。

 

神の力

神は無から有を生むことができます。この世界の多くは人が望んだから存在する物ばかりです。スマホもビルもロケットも核兵器も人が望んだから存在します。

もともとなかったものです。時間はかかれど人の思いは形になります。

それはビジネスではダイアナロスの人は思った通りの人間になるという教訓であったり、宗教では祈りという行為につながります。

 

宗教上の神

世界には各地に色々な神がいます。まずキリスト教で説いているのは他人も神ですよということです。仏教も同様ですね。だから他人を傷つける行為や思想は正しくないのです。それを理解した上で福音書なり法華経なりを読めば本当の意味がわかります。

ただ、信者を集めるために都合よく偶像化したのがほとんどの宗教での神です。

集団としての力は強大であり、その力が世界をいい方にも悪い方にも動かしてきました。

 

神の教え

神の教えというのは平たくいえば他人を差別しちゃだめだよということです。

それはいい人ぶるためでもなく、お金儲けをするためでもないです。

歴史の中で素晴らしい教えは神の教えとして、多くの共感者を得て集団となります。

そしてその教えに背くものは悪としてきました。

それが戦争であったり奴隷であったり差別、貧富の差になるわけです。

神の教えを以って悪魔の行動をした、それが歴史であり人の歩みです。

 

そもそも人に優劣はないです。優劣を求め善悪を決めることこそが悪です。

そして本気で多くの人が神という生命体を望めばいつか現れるかもしれません。

それはAIなどの人工物であったり物語であったり形は様々です。

なにもない存在しないところからそれを作ることができる生命体は人間だけです。

それが偶像崇拝であり宗教上の神々なんだと思います。人は神すらも作り出せる。

では人はなんなのかってことです。

 

物理法則

理論物理化学

物理現象や法則などはたしかに存在しますが、それがこの世界の全てではないです。

数字の世界だけではこの世界は説明がつかないです。全てが規則正しく動くわけではなく、形として現れたものを理論化しているだけです。

 

量子力学

人が観察することで結果が変わり、それは一定の確率によって変化するというものですね。人間原理やシュレーティンガーの猫など有名ですね。

一見バカげていますが、理論物理学では証明できないことを証明できます。

それは形に現れる前の物理学だと認識すると理解しやすいかも。

世界はもっと主観で見ていいんです。世界は人にとって都合よくできている。

それを証明する学問なんだと思います。

 

この世界にある物

驚くほど、人間に都合がいい物もあれば悪い物もあり、それらは物理法則にしたがったものです。ゆえに人は都合のいい環境に人間が適応(進化)したと思いがちですが、進化するにもまた意思のようなものが必要となります。

数学や数字の世界では等式は常に一定で変化ができないためです。こうしたい、こうありたいと願う力がないと変化は起きません。

この世界はそういった思いが形になっただけなんです。

それが量子力学では確率という概念にあたり、人が観測することで変化するという結果になるわけですね、そして形として現れたものは物理法則にしたがった動きを維持する。だから量子力学理論物理学は両方とも正しく、それぞれ単品では不正解なんです。

 

日常から見える真理

人の欲

多くの人の意思決定や衝動は人間に宿る遺伝子によるものです。

生命を維持するためにプログラミングされたものだと言うと理解しやすいかも。

それを仏教では欲と呼びます。

それら衝動を自分の意思だと勘違いしています。多くの人がその欲に翻弄された中で人生を終わります。108つの煩悩に分類されますが、多くは自分を守る衝動です。

別に欲だと認識して溺れることは悪ではないです。欲を自分自身だと勘違いするのはあまりよくないとは思いますが、自分で違和感を感じないのであれば、それもまたその人の人生です。そういう人しか得られないものもあります。

 

人生の意味

別に幸せになるのが目的ではないです。

人の意思は神であり、もともと全知全能です。なにもかもうまくいきヌルゲーだった日常に退屈したから作った世界なので、不幸なほど、この世界を楽しんだ神になります。いつかは永遠の悦びの中へ帰ります。成功だの失敗だのは些細なことです。どんなテーマパークのどんなアトラクションで遊んでもあなたはあなたなんです。

どんなに成功しようと人が感じることのできる幸せの量は変わりません。

人より先へ行けば、追われる苦しみが増えるだけで 成功したから幸せではないです。

成功者と評価されれば失敗することへの恐怖が増え多くのしがらみができます。

多くのお金を持てば、奪われることへの恐怖と警戒心で疑心暗鬼にもなるでしょう。

自分は他人より上だと思えば、常に上にいないといけない価値観にとらわれます。

なので価値観にとらわれず、自分の時間として幸せも不幸も受け入れるのが人生でありあなたの通り道だと思います。

 

偶然と必然

この世界に偶然はないです。形として現れたものは変わりません。

すべてが必然であり、その道をつくったのは自分、道を進んだのも自分です。それを認識するかしてないかの違いでしかないです。

宝くじだって買わないのに当たらないです。買うという行為が道であり運びです。

当選したとしても買うという運びが導いたもの。運がいいとはそういうことです。

それによって不幸も起き、幸せもあるでしょう。それが道です。

道を作ったの自分で、それを進んだのも自分なのです。

結果によって運がいい、運が悪いとなりますが、それも考え方の問題で人の優劣にはなりません。

 

運命の人

運とは前述したようにはこびです。命は人生です。

人生を運ぶ人、人生を変える人と読み解くのがわかりやすいです。

その人と出会って自分の選ぶべき道が変わる人、影響を受ける人ですね。

それは別に異性でなくても成り立ちます。

例えば、相思相愛のカップルが自分達は運命で~以下略 ってのも運命です。

もともと知らなかった者同士でそういうことになってるので明らかに人生の時間(命の運び)が変わっています。

まぁ生まれる前からどうのってのはないですね。生まれてからの話です。

出会う人全てが必然です。そこに行こうとして行って出会うわけですから。

 

 

死後の世界

天国と地獄

天国は精神世界へ戻ることを指します。

地獄とは神に戻る際、自分の行いを振り返った際の苦しみです。

地獄というテーマパークがあるわけではないです。

他人だと思って憎んでいたのは、自分と同じ存在だった。

殺したいと思って殺した相手は、自分が愛情をこめて作ったキャラだった。

そういった自分の愚かさを釈迦の知能指数で認識するわけです。

そりゃ地獄です。黒歴史どころの醜態ではないですね。

あなたを裁くのはもう一人のあなたです。だから悪事も全て知っています。

 

もうひとつの世界

てっきり死んだら精神世界に戻るもんだと思ってましたがそうでもないみたいで、今の現実世界とほぼ同じような世界があります。

たぶんそれぞれにあるんじゃないかと思います。止まった世界というか今より都合のいい世界があり、そこには自分しかいませんでした。

もともと今の世界もそうなのかもしれないですね。他人になることはできませんから、多くの人間が存在していても物理現象を説明するためのものでしかないです。

なお、こちらの世界の記憶はもっていけません。あちらの世界のは多少は持ってこれるみたいです。

 

THE WORLD

この世界・・もともとひとりなのかもしれないですね。

まぁ他人がいても元々はひとりです。いつかひとつの思念体、神に戻ります。

物質も同義です。ビッグバンで始まり最終的にひとつに集約します。

だから重力があり、人は惹かれ合うんでしょうけど。

引力とはもともと一つだったことを示す力です。

 

最後に

こんなものをここまで読んでいるということは相当病んでる方だと思います。

私から言えることは、あなたは奴隷ではありません。

世界はもっと主観でとらえていいです。

あなたが存在している世界はあなたのためにあります。

だから不幸も楽しんで下さい。