固定観念を捨てるとみえるもの ~聖母マリア~

今回はキリスト教聖母マリアについてです。

考え方を変えると一般的な認識とは違うところで辻褄が合います。

そんなキリスト教について また神とはなんなのかについてです。

テーマが大きいので少し回りくどくなるかと思います。

 

エス=キリストについて

処刑の矛盾

なぜイエスが処刑されて人々の罪がきえ救ったことになるんでしょうか?

普通に考えて神の子を処刑すれば、神の怒りを買いそうです。

これが謎なんですが、だれもそれを考えないですよね。

 

旧約聖書

この時代、旧約聖書はかなりメジャーであり イエスが救世主とされたのは旧約聖書に則ってのことです。なのでそれに記載のあることは当時、一般常識と思って差し支えないと考えます。

 

旧約聖書 エノク書

ノアの箱舟のノアのおじいさんにあたる人の書で、大洪水が起きる時の話が載っています。地上に降りた神々は人間で遊んでいたのですが、それがバレておしおきされる話となっています。人と神の間に子供ができるとどうやら巨人になることも書いてますね、その巨人を使って戦争ゲームをしていたわけです。

それを後から知った神々(上司?)が怒り、大洪水が起きたわけですね。

 

大洪水

おそらく月(彗星)の氷を使ったんでしょう。

月をどこかから持ってきて地球の周りに置けば、その氷は地球に降り注ぎます。

そうすれば大洪水は可能です。

水没した都市など説明がつきますし、ピラミッドの建設もある程度説明がつきます。

中国神話にも記載がありますし、おそらく事実の出来事だと考えます。

 

エスの罪

エスに子供がいたという話があります。ダビンチコードとか有名ですね。

エスとマリアの間に子供がいたと仮定します。

神と人間の子供ということになり、大洪水を起こした原因と同じ罪となるのです。

そうなればイエスが罪を償うために処刑ってのは辻褄が合います。

大洪水の危機から救った救世主にもなるでしょう。(自作自演の自業自得)

 

エスは神なのか

エス様は見せしめのように磔刑にされています。

エスが神(神の子)であるなら不敬ですよね。神にほぼ喧嘩を売ってます。

エスは神ではなかったとすれば、相手の女性が神だった可能性があります。

 

マグダラのマリアについて

マグダラのマリア

エスの従者であり、処刑の直前イエスの足を油で洗っている女性です。

かなり親密だったと思えます。なにせイエスが復活する時にそばにいたのはこの人だけです。もしマリアが復活させたのだとしたら・・。

ダビンチの最後の晩餐にも描かれてますね。(わりと中央に)

そしてマリアの福音書というものも存在します。

 

マリアの福音書

全文は発見されてないですが、その中で12使徒に指示を出している描写もあります。

布教活動について指示を出している・・。もしかして立場は上?と見ることができます。ただの愛人として見られていますが、イエスの弟子達が従うことを考えれば特別な存在だったのかもしれません。

 

マリア像

教会によくある子供を抱いた像についてです。

この子供がイエスではなく、イエスマグダラのマリアの子供だとしたら。

エスは磔にボロボロの姿なのに対してマリア像は綺麗です。

この違いってなんなのか。最初に感じた疑問です。

エス様よりマリア様の方が神っぽくね? そう思ったんです。

 

ローマ法王認定の奇跡

バチカンで認定されている奇跡というものがあります。

日本では津和野、秋田などがあります。有名なところではファティマやガルバンダルですね。この奇跡に登場するのはマリア様です。イエス様ではないです。

そして子供を抱いている姿を証言する人もいたりします。

そうなるとやはり神はイエスではなくマリアだと考えるのが自然です。

 

マリアと旧約聖書

旧約聖書の創世記で神々は自分達に模した人間を土から作れます。

元々は単なるラブドールだったのが、リアルさを追求して知性を与えて制御できなくなりアダムとイブになったと思っています。

そんな精巧なラブドールを作れる文明や技術があるなら自分の体や部位も作れるはず。遺伝子などを完全に理解しているとなると、ほぼ不老不死の存在のはずです。

マリア様はそんな旧約聖書の神と同等の存在(同僚)で、お仕置きをした側の神ではないかと。

・・となるとマリア様は今も生きてる?

いや、どこかで見てる?

そう思える理由はダビンチの残した作品です。

 

レオナルドダビンチについて

後世に残る作品

宗教画を多く残してくれています。最後の晩餐やモナリザなど有名ですよね。

ほかにも次元の違う発明のような設計図のようなものがあったり、天才という言葉でくくれないものが多く残っています。

 

モナリザとは

よくわからない人妻の絵が超高額の絵であり、芸術品であり人類の宝のように扱われています。正直、なんでそんなに価値があるのかわかりません。

ただもし、この絵がどこかの人妻ではなくマリア様を描いたものだとしたら。

で、この絵は元々ダビンチが隠し持っていた絵で死後発見された絵です。

単なるお気に入りの人妻の絵なら、今の世でこんな価値があるのは不自然です。

他にも同様に発見された絵があります。

 

死後発見された絵

モナリザの他に岩窟の聖母、洗礼者ヨハネの絵があります。

岩窟の聖母は女性2人に子供2人、洞窟のような所での絵です。

エスの死後、南フランスへ逃れた母マリアと嫁マリアと子供2人の絵らしいです。

(イエスの子って二人いるの?!)

そして洗礼者ヨハネの絵はモナリザに似ています。

しかも背景が真っ黒で洗礼者ヨハネが十字架を指さしています。意味不明です。洗礼者ヨハネが十字架を指さす理由がわかりません。(キリスト教徒ではない)

もともと十字架じゃないものが描かれていたのではないかと思えます。

暗闇で上に指していると考えると、月じゃないかなと勝手に思っています。

 

月とマリア様

元はマリア様が夜にうかぶ月を指さしていたんじゃないかと勝手に思っています。

ここから見てるよって感じで。

そう仮定するとダビンチの才能、隠した理由、高額な理由など辻褄が合うんですよね。

そして月が描いてあったと思う理由は、アポロ計画です。

 

月の神々

アポロ計画

アポロ(アポロン)って太陽神です。月に行くのに太陽神の名を冠しています。

不自然なんです。

ゼウスの子(神の子)としてのアポロなら 月に行くって理由も神の子が会いに行きますってことで辻褄が合うんですよね。そして追い返された。

本来、月まで行けるなら、宇宙ステーションとか作る必要ないですからね。

 

嫦娥かぐや姫

月が旧約聖書の神が住む場所だとすると、月にまつわるもの・・嫦娥伝説やかぐや姫も同一の種族なのかもしれないです。

嫦娥(ジョウガ)も中国神話のジョカだとすると、洪水から生き残った神だと思います。(お仕置きを受けた側なのか、お仕置き後に来た人なのか不明)

かぐや姫も稲作を教えたり、不死の薬を差し出したりと現地人と圧倒的な文明の差があります。

彼女らは旧約聖書の神々と同じ種族ではないかと思えるのです。

 

人体を示す漢字

体の部位を示す漢字には月が多く使われています。(腕・脚・脳・肺・臓・腹など)

サルから進化したとしたら、途中の原人が抜けてて辻褄が合わないんですよね。

種として存続できないなら進化もできないはず。

旧約聖書のように神が作ったのだとすれば、漢字に残る月という文字は、製造元を示すものなのかもしれません。

 

神々の正体

もちろん霊的な存在ではなく、私たちと同じ生命体だと思われます。

文明のすすんだ先代の人類だと思っています。

前述しましたが、おそらく不老不死で、美形ぞろいです。

元々人間はそれらに従うように作られているはずです。なので人間にできないことができ、超美形です。なんの迷いもなく崇拝できる存在なはずです。

そしてそれらに従うことで幸せを感じるでしょうね。

そう作られているはずです。ゆえに人は神の存在や教えを求めるんだと思います。

自由や平等を求めつつ、カリスマ性のあるリーダーを求めるんだと思います。

 

神々の目的

人間の創造者ですが、この宇宙の創造者ではないです。

この宇宙の創造者は5次元の意識の集合体のような存在のはずです。

その宇宙の創造者に近づくことを目的に人間を作ったと思います。

3次元(物理世界)においてその存在に近づくことがゴールなんだと思います。

人間が自分達と同じように文明や文化が発展するなら、創造主に近づいている事の証明なんじゃないかと。

だから見守りつつも手を出さない、管理しないんだと思います。

 

まとめ

便宜上、神と呼称してますが オリジナルの人類が正しいかもです。

我々人間は、オリジナル人類が神になれるかどうかの作品なんだと思います。

ゆえに行く末を見守られている気がします。

そして約束の時(経過観察終了の時)があるはずです。

正直なところ、私を含め人間は出来損ないです。オリジナル人類より劣ります。

現に歴史を重ねても争いはつづき、どちらが正しいかを押し付け合っています。

神という絶対者に対して従順に作りすぎたんじゃないですかね。

臆病であるがゆえに知性を活かすことができません。

あまりにもオリジナルとかけ離れているはずです。(秋田で起こった奇跡の中でマリア様の言葉を聞く限りでは、かなり求められているものとかけ離れている)

そして失敗作だと判断が下されるはず、それはたぶん近いうちだと思います。

別に予言者になるつもりもないですが、世界の謎や歴史の謎を紐解いて辻褄を合わせるとそう思えるだけです。

そしてそこに辿り着けるように、情報をわざと残してる気がしています。

たぶん色んなものからたどり着けるんでしょうね。この世界はちょっと不自然だと。

そして神であるオリジナルの存在に気づいたとき、どうあるべきなのかわかるようにしてくれている・・。主観ですがそう思えます。

そうすると不自然さが自然になります。

消されたはずの歴史や神話があったり、月という天体であったり、人にとって都合のよい環境だったりです。

今回は長くなりました。最後までお読みいただきありがとうございます。

次回はこの世の終焉と再生について書いていきます。